1 福沢諭吉 (1834 ~1901)




~人間の平等と独立自尊をめざして差別と闘った日本の啓蒙思想家~




 「天は人の上に人を造らず。

 人の下に人を造らず」




 国民に衝撃と感動を与えた福沢諭吉の言葉ですね。




 人間をすぐ上下関係で見る人、ランクをつけたがる人はたくさんいますね。


 僕などはこの言葉を自分につきつけられたら、思わずドキッとします。




 職場での仕事を遂行するための職務命令などは別としても、不必要なところでの上下関係は今も氾濫していませんか。


 彼は差別を乗り越えた、近代日本の人間の生き方の原点ではないでしょうか。




 では、諭吉はどんな差別を受けたのでしょうか。




 それは出身による極端な身分差別です。

 幕末の大分県中津藩では、上位の武士と下位の武士が厳然と区別されていました。




 この上下関係は子どもどうしのつき合いにまでおよびました。

 上から目線で馬鹿にされた少年諭吉も、この理不尽な差別に悔し涙を流したことでしょう。




 「学問も体力も自分より劣っていても、親の身分が高いだけでいばっているのはおかしい」


 これ以前に自由な町人の町、大坂にいた諭吉にはその違いがよくわかり、何とかならないかと悶々としていました。




 しかし藩では孤立し、生活は苦しく、将来に絶望したのでしょうか、諭吉は少年時代に飲酒の癖がついてしまいました。


 本人もその飲酒癖を何とかしたいと思って、12歳のときに、まず朝酒をやめようとしています。




 次に昼酒もやめようとしましたが、すんなりとはいきませんでした。


 他に不満のはけ口がなかったからです。




 しかし、14歳のときに学問に目覚めました。

 学問にはげんで、中津を脱出しようと考えるようになったのです。




 一筋の明るい光は、緒方洪庵との出会いです。


 18歳のときのペリー来航をきっかけに大坂に出て、彼の 「適塾」 の自由な雰囲気の中で、蘭学を学びました。




 1860年には、勝海舟とともに咸臨丸でアメリカに渡っています。


 1868年、江戸に英語塾を開き、慶応義塾と名づけました。




 「身分によって人を差別することはいけない。

 どんな仕事の人も、力を合わせて働くことが大切だ」



 と主張しました。


 ここが人生の大きな転機ですね。




 諭吉は平等と個人の自立を説いた教育者であり、思想家として生きました。




 一人一人が独立自尊の心を持つには、大勢の人の前で自分の意見を自由に述べることが大切です。

 そのため、慶応義塾内で三田演説会を開きました。




 やがて演説会は全国各地で開かれるようになりました。




 後の自由民権運動や大正デモクラシーにつながる、日本史上の革命的なできごとだと思います。

 若者を中心に多くの人々の心がこの活動を支持しました。




 男女平等も説いて、女性解放を主張しています。




 「女性はもっと社会に出て男女交際を楽しみ、自分の意志で結婚相手を決めるべきだ」




 そして

 「女性も財産権を持つべきで、男性はもっと妻を尊敬し、家事育児にも積極的に協力すべし」



 と力説しています。




 本人も家庭を大切にし、9人の子どもたちとも分け隔てなく育児に参加しました。

 現在話題になっている 「二世帯住宅」 や 「夫婦別姓」 にまで、すでにこの時代に言及していたのです。




 権威や肩書にはこだわりませんでした。




 現代の文部科学省にあたる機関からの表彰を断わり、政府からの爵位を与えるという話も、諭吉の意志を踏まえて家族が断わっています。




 彼は生涯、位階勲等の類は一切受けませんでした。




 これほど解放された人は、ほかにどれほどいたでしょうか。




 彼には学ぶことがとても多いですね。




 現在および将来にあっても、この自由な生き方に深い共感を覚える人は、ますます増えていくのではないかと思います。
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