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2013.11.29
第1章 紀元前の世界 6 スパルタクス
6 スパルタクス ( ? ~前71年)
~自由のために命をかけて戦った古代ローマの奴隷~
紀元前1世紀頃のイタリアは、奴隷制の最盛期でした。
大土地所有のもとで農業に従事する奴隷、家事をする家内奴隷、医療に当たる奴隷。
さらに、家庭教師を務める奴隷、剣闘技に命をかけなければならない奴隷である剣奴など、社会のいたるところに奴隷が存在しました。
こうした奴隷たちは、ローマの征服地であるガリア (現在のフランス) やゲルマニア (現在のイギリス)、 トラキア (現在のルーマニア) などから、大量に連れてこられた人たちだったのです。
まさに身分差別という、人権侵害の宝庫とも呼べるような状態でした。
スパルタクスはトラキア出身の兵士でしたが、訳あって捕らわれの身となり、ナポリの北約30kmのカプアというところの剣闘士養成所に入れられていました。
剣闘技はローマで人気のあった見世物で、奴隷の死をかけた真剣勝負が行われていました。
人間扱いされていなかったのですね。
ローマの有力者は、市民に剣闘士の見世物を提供して楽しんでもらい、保護者としての自分を認めさせていました。
スパルタクスはこの剣闘士の中でも、特に強くて人気のある人物になりました。
しかしいくら人気があっても、スパルタクスの心は満たされません。
「いくらほめてくれても、所詮あいつらはおれたちを人間だとは思っていないのだ。このまま死んでたまるか。」
こう思い続けた彼は紀元前73年、ついに事件をおこします。
世界史上 「スパルタクスの反乱」 と呼ばれている約2年にわたる奴隷たちの大反乱です。
奴隷たちの軍は 「反乱軍」 と呼ばれていますが、僕は彼らの立場に立てば 「解放軍」 という言葉がふさわしいと思います。
そして人権を踏みにじられ、被差別の立場の人々が、自由と平等をめざして立ち上がった 「解放戦争」 であると考えています。
戦いはまず、カプアの剣闘士養成所の脱出から始まります。
スパルタクスは78人の剣奴を連れて調理場から包丁と、やきぐしを奪って脱走したのです。
最初はこの人数でしたが、次々と奴隷たちが加わり、剣奴だけでなく農耕奴隷や貧農も巻き込んで何と10万人にまでふくれあがったのでした。
正規のローマ軍を相手に連戦・連勝したため、最初はローマ中が震え上がる大事件になりました。
「我ら自身の自由のために戦おう」 というスパルタクスのスローガンには説得力がありました。
彼は仲間と貧しさを共有し、略奪品を公平に分配するような人物でした。
この戦いは、もともと剣奴たちが自分たちの生まれ故郷に帰ることが目的でした。
紀元前72年の春、スパルタクスは奴隷を故郷に帰そうという考えから、北方への進軍を始めました。
しかし、そこにはアルプスという巨大な壁が立ちはだかり、結局これを越えることはできませんでした。
やむをえず南へ引き返してからは快進撃がストップし、当時の共和政ローマの事実上の支配者であり差別者である元老院の命令によって、進軍してきたクラッススとポンペイウスの軍に敗れて戦死しました。
こうして奴隷というレッテルを貼られた 「人間たち」 の夢は、ローマ軍の武力によってつぶされてしまったのです。
結局目的を達成することはできませんでしたが、その後、奴隷たちの待遇は少し改善されていきました。
人間としての自由を求めて立ち上がったという面で、スパルタクスは世界史上の英雄の一人といえるでしょう。
ただ、やり方が急で過激だったために、最終的には差別者も被差別者もともに痛い目にあってしまったのです。
後世に生きる僕たちにとって、教訓になることがたくさんあるできごとだと思いませんか。
~自由のために命をかけて戦った古代ローマの奴隷~
紀元前1世紀頃のイタリアは、奴隷制の最盛期でした。
大土地所有のもとで農業に従事する奴隷、家事をする家内奴隷、医療に当たる奴隷。
さらに、家庭教師を務める奴隷、剣闘技に命をかけなければならない奴隷である剣奴など、社会のいたるところに奴隷が存在しました。
こうした奴隷たちは、ローマの征服地であるガリア (現在のフランス) やゲルマニア (現在のイギリス)、 トラキア (現在のルーマニア) などから、大量に連れてこられた人たちだったのです。
まさに身分差別という、人権侵害の宝庫とも呼べるような状態でした。
スパルタクスはトラキア出身の兵士でしたが、訳あって捕らわれの身となり、ナポリの北約30kmのカプアというところの剣闘士養成所に入れられていました。
剣闘技はローマで人気のあった見世物で、奴隷の死をかけた真剣勝負が行われていました。
人間扱いされていなかったのですね。
ローマの有力者は、市民に剣闘士の見世物を提供して楽しんでもらい、保護者としての自分を認めさせていました。
スパルタクスはこの剣闘士の中でも、特に強くて人気のある人物になりました。
しかしいくら人気があっても、スパルタクスの心は満たされません。
「いくらほめてくれても、所詮あいつらはおれたちを人間だとは思っていないのだ。このまま死んでたまるか。」
こう思い続けた彼は紀元前73年、ついに事件をおこします。
世界史上 「スパルタクスの反乱」 と呼ばれている約2年にわたる奴隷たちの大反乱です。
奴隷たちの軍は 「反乱軍」 と呼ばれていますが、僕は彼らの立場に立てば 「解放軍」 という言葉がふさわしいと思います。
そして人権を踏みにじられ、被差別の立場の人々が、自由と平等をめざして立ち上がった 「解放戦争」 であると考えています。
戦いはまず、カプアの剣闘士養成所の脱出から始まります。
スパルタクスは78人の剣奴を連れて調理場から包丁と、やきぐしを奪って脱走したのです。
最初はこの人数でしたが、次々と奴隷たちが加わり、剣奴だけでなく農耕奴隷や貧農も巻き込んで何と10万人にまでふくれあがったのでした。
正規のローマ軍を相手に連戦・連勝したため、最初はローマ中が震え上がる大事件になりました。
「我ら自身の自由のために戦おう」 というスパルタクスのスローガンには説得力がありました。
彼は仲間と貧しさを共有し、略奪品を公平に分配するような人物でした。
この戦いは、もともと剣奴たちが自分たちの生まれ故郷に帰ることが目的でした。
紀元前72年の春、スパルタクスは奴隷を故郷に帰そうという考えから、北方への進軍を始めました。
しかし、そこにはアルプスという巨大な壁が立ちはだかり、結局これを越えることはできませんでした。
やむをえず南へ引き返してからは快進撃がストップし、当時の共和政ローマの事実上の支配者であり差別者である元老院の命令によって、進軍してきたクラッススとポンペイウスの軍に敗れて戦死しました。
こうして奴隷というレッテルを貼られた 「人間たち」 の夢は、ローマ軍の武力によってつぶされてしまったのです。
結局目的を達成することはできませんでしたが、その後、奴隷たちの待遇は少し改善されていきました。
人間としての自由を求めて立ち上がったという面で、スパルタクスは世界史上の英雄の一人といえるでしょう。
ただ、やり方が急で過激だったために、最終的には差別者も被差別者もともに痛い目にあってしまったのです。
後世に生きる僕たちにとって、教訓になることがたくさんあるできごとだと思いませんか。
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