6 平賀源内 (1728~1780)




~豊かな才能を生かし自由自在に活動した天下御免の男~




 だれにもはばかることなく、堂々と振る舞ってよいことを「天下御免」といいます。



 平賀源内の生き方は、まさにこの一言で表現することができるのではないでしょうか。


 あるときは浪人、あるときは科学者、そして発明家、画家、作家、コピーライターなど、博学多才、あり余る才能の持ち主です。



 日本の 「レオナルド・ダ・ビンチ」 とまで言われました。




 江戸幕府、そして幕藩体制という強大な権力の締めつけが厳しく、不自由が多いこの時代に、数少ない自由自在に生きた貴重な天才です。



 1728年、源内は四国の讃岐国 (さぬきのくに)、高松藩の足軽の子として生まれました。

 20代はじめに高松藩に仕えています。




 しかし、長崎に遊学して蘭学を身につけると、小藩の役人としての堅苦しい勤めが不自由に思えてきました。

 元来、好奇心旺盛の彼です。




 家督を従弟に譲って、発明に没頭しました。




 1756年、29歳の源内はついに讃岐を出て大坂へ行き、さらに江戸へ向かいました。


 武士よりも自由人を選んだのですね。




 「浪人というものは気楽なものだ」

 源内は長屋暮らしをし、引越しも十数回しています。




 しかし、お金を稼ぐ必要もあったので、さまざまなことをやりました。




 まず、薬用植物を主に研究する本草学 (ほんぞうがく) です。

 1762年、江戸の湯島で薬用となる物産の展示会を開いています。



 解体新書で有名な杉田玄白をはじめとする蘭学者たちと対等に付き合っています。

 博物学の図鑑も出版しました。




 科学に関することでは、エレキテルとよばれる摩擦発電器を復元しました。


 有名な老中、田沼意次 (たぬまおきつぐ) は、源内の才能をいち早く見抜き、援助をして交流したと伝えられます。



 火浣布 (かかんぷ) という石綿で作った燃えない布を発明したり、タルモメイトルという温度計も作りました。


 また、水平を測定できる平線儀 (へいせんぎ)、万歩計にあたる量程器 (りょうていき)  なども発明しました。




 秋田へは鉱山の調査にも行っています。

 芸術に関することでは、油絵が有名です。




 「西洋婦人図」 は高校日本史の教科書に載るほどの傑作です。




 風来山人という名で、戯作者としても売り出しました。

 変わったところでは、焼き物の研究をしたり、大人のおもちゃも製作しています。




 源内は男性自身について詳しく述べた本も書いており、男女間のことにも精通していました。

 このおもちゃは、正月の市で縁起物として売り出したら大評判となり、たちまち売り切れる人気商品になったのです。




 このように、源内は何でもできる天才として、とても有名になりましたが、晩年はあっけない最期でした。




 酒に泥酔して、誤解からのつまらない人殺しをしてしまったのです。



 後悔して自殺しようとしましたが、制止されて入牢。




 最後は破傷風で獄中死したといわれていますが、他にも諸説があり、詳しいことはわかっていません。


 しかし、源内の生き方には学ぶところがあると思います。




 なぜ、彼は自由に伸び伸びと生きることができたのでしょうか。




 ポイントは家督を譲って故郷を後にしたことにあるでしょう。




 これは言い方を変えると、上から目線で自分を支配する人たちとの縁を切り、対等に自由につきあえる人たちとつき合ったことになります。



 迫りくる不合理な差別をしたたかにかわし、自由の道を選んだからこそ、源内の長所が存分に発揮されたのです。




 彼の死に方は、ちょっと残念で心残りですが、生き方には大いに共感できるところがあると思います。



 生活の安定はなくとも、スリル満点の毎日。




 21世紀に生きる僕たちにも、さまざまな場面で応用することができるのではないでしょうか。
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