3 シャクシャイン (1606?~1669)




~民族差別に立ち向かい自由と平等のために命をかけたアイヌの首長~




 自分が生まれ、育ち、今なお生活している大事な場所をよそから来た人に侵略されれば、何らかの形で抵抗することは世界中どこへ行っても当然のことですね。



 北海道の先住民は、まちがいなくアイヌ民族です。



 江戸時代の初期、和人の侵略に抵抗し、アイヌの自由と平等のために命をかけて戦った英雄がシャクシャインです。

 ここではアイヌ民族と区別するためにアイヌ以外の日本人のことを 「和人」 と呼ぶことにします。



 僕は自分が中学生、高校生のとき、シャクシャインについて習った記憶がないのです。

 ただ忘れただけなのでしょうか、あるいはアイヌが無視されていたのでしょうか。



 今では中高の歴史の教科書では、おなじみの人物になっています。



 僕が教員になりたてのころは、教科書に沿って 「シャクシャインの乱」 という言葉で生徒に教えた記憶があります。


 ところが現在では乱ではなく 「シャクシャインの戦い」 と言葉が普通になっています。



 「乱」 という言葉では、松前藩や江戸幕府が 「上から目線」 でシャクシャインを見下した言葉になるでしょう。


 その背景にはアイヌ民族差別があることは明白ですね。



 その点、「戦い」 ならば対等の立場で使える言葉ともいえます。


 さらに差別されたアイヌの人々の立場に立てば、「解放戦争」 や 「松前藩の侵略」 という表現もできると思います。



 結論を先に言えば、この戦いでアイヌの人々は自分たちの土地を奪われ、奴隷のような厳しい生活を余儀なくされることになったのです。



 このできごとには、かの有名な徳川家康が一枚からんでいるのをご存知でしょうか。



 古くからアイヌの人々は、北海道だけでなく東北地方などとも広く自由に交易をおこなってきました。


 ところが1604年、家康は松前藩にアイヌ民族との交易を 「独占する権利」 を与えました。



 このため、アイヌの人々は東北地方に出向いても、津軽氏や南部氏などの大名から交易を断られるようになってしまったのです。


 こうなると、アイヌの人々は米や鉄製品、木綿などの和人の製品が欲しくても、松前藩としか取引ができません。



 とたんに松前藩は、交易上有利になります。



 交易での交換比率は、松前藩の都合のいいように変更することができるようになったのです。



 たとえば、アイヌの乾燥した鮭100匹は、松前藩の米30キログラムと交換されていましたが、1669年ごろになると米10.5キログラムになっていました。



 実に約3分の1ですね。



 初めは友好を装っていた和人は、しだいに極端に不平等な産物交換を強要しました。


 強制された数量の物品を納入できないと、罰としてさらに不当な交換を強いました。



 それも達成できないと、アイヌの子どもを 「人質」 に取ったりしたのです。



 これはひどいですね。


 こうまでされて、アイヌの人々が黙っているはずがありません。




 シャクシャインは、こうして2,000人を率いて立ち上がったのです。


 しかし、強大な権力をもつ江戸幕府の応援を得た松前藩の鉄砲の前にはかないませんでした。



 最後はだまし打ちです。



 10月、松前藩は 「うその和睦」 をしてシャクシャインを宴会の席に招きます。


 酒に酔ったところを謀殺したのです。



 正義はどちらにあるのか、ここにあえて書くまでもありませんね。



 和人もアイヌも同じ人間です。



 僕の住む新潟県新発田市(しばたし) の隣りに、胎内市(たいないし) という市があります。

 胎内とは、アイヌ語です。



 「清らかな水が湧き出る所」 という意味です。



 この事実は、いったい何を物語っているのでしょうか。



 言葉や文化に違いはありますが、同じ所に住む対等な人間として、互いに相手の文化を尊重し、共存共栄をめざすべきだと思います。



 僕は、自然が豊かで美しい北海道が大好きです。


 アイヌの人々とシャクシャインの理解者は、これからも増え続けていくのではないでしょうか。
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