7 出雲阿国 (1572~ ? )

 


~形にこだわらず愛と芸能で自由に生きた出雲の巫女~




 歌舞伎の創始者として知られ、人気者になった安土桃山時代の女性ですね。 
 
 歌舞伎という言葉は 「傾く」(かぶく) ことからきています。



 抑えつけてくる力に逆らって、斜めに身を傾けて 「強い力に肩すかしを食らわせる」 のがもともとの意味です。




 当時は奇抜な服装や歩き方などで人目を引き、おしゃれを気取る人間を 「傾き者」(かぶきもの) と呼んでいました。

 阿国(おくに)はそういった芸能で、自由な生き方をした魅力的な人だと思います。




 現在の島根県、出雲大社の巫女(みこ)でした。

 一説によると、河原者(かわらもの) とよばれた差別をされた身分だったともいわれますが、正確なことは分かっていません。




 阿国は7歳のときから神楽舞をやっていました。

 父は中村三右衛門といって、出雲大社の鍛治氏(かじし) でした。
 



 彼女が京の都に出るきっかけは、出雲大社修繕の勧進(かんじん) つまり寄付集めで、5人の巫女が猿楽の前座として神楽舞を踊ることになったのです。



 そのころはちょうど豊臣秀吉が全国を統一し、強権を発していた時代にあたります。



 太閤(たいこう) となった秀吉の抑圧と朝鮮侵略にうつつをぬかしているといった迷惑からでしょうか、京の都にもやりきれない不満が充満していました。




 巫女という立場も謹厳で、重い殻に包まれるようなところがあります。

 神鈴(しんれい) をもって神前で踊る神楽舞は単調で、阿国も不自由な物足りなさを感じていたのでしょう。




 この重苦しい空気の中で、阿国は 「遊女踊り」 に注目します。


 仲間から止められましたが



 「斜めに構えて結構だわ。

 わたし、ここで踊りたい」



 と言って遊女踊りの座に飛び込みました。



 肌をあらわにして男客の中に出るのは抵抗がありましたが、熱い視線の中で恥ずかしいという意識がいつのまにか消えていきました。



 阿国にとっては 「自由な踊り」、 観客にとっては 「自由な空気」 だったのでしょうか。


 まさに世に傾く(かぶく) 場所になっていったのです。




 重苦しい空気からの解放感を味わうことができたのです。

 阿国は何人かの恋人との恋愛にも熱中しています。




 その中の一人が名古屋山三郎(なごやさんさぶろう) です。

 評判の美男子で、京の町でも有名な「傾き者」(かぶきもの) でした。




 不運なことに阿国はこの恋人に早々と先立たれてしまいます。

 ところが阿国はこの恋人の死をも 「舞台の題材」 にしたのです。




 これまでにない斬新な展開に会場は沸き返りました。




 まさに 「愛と芸の鬼」 とでも呼べばよいのでしょうか。

 たいていの人ならすぐには立ち直れず、なかなかこのような芸はできないことだと思います。




 歌舞伎踊り完成のきっかけは、禅昌(ぜんしょう) という神官が、阿国に遊女街を離れるように勧めたことにありました。




 「お前が挑んでいるのは太閤様の強権だろう。

 それがいい。



 もっと世に傾け。

 そうだ、いつまでも遊女踊りに埋もれていてはならぬ。




 みんな男の格好をして踊れ」




 この言葉が阿国を動かしました。


 女が男になる 「逆さま踊り」 が大人気になったのです。




 町人だけでなく、武将らもひそかに見物に来るようになりました。




 晩年の阿国の様子はよくわかっていません。

 しかし、さまざまな紆余曲折はありましたが、自由な発想で自分がやりたいことを真剣に勇気をもってやってみる。




 その延長線上に、今日見られる 「歌舞伎」 という芸能があるのです。




 21世紀に生きる僕たちも、自らの 「創意工夫」 で結果が変わる仕事は面白いし、気合が入りますよね。




 阿国はそんな創意が徹底した、勇気ある女性です。




 その自由自在な人間としての生き方に共感できる人は、男女を問わずきっと僕だけではないと思いますがいかがでしょうか。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/69-5e02a432