4 和泉式部 (976?~1030?) 





~和歌と恋愛にかけ身分をこえて自由に生きた歌人~





 和泉式部が1,000年の年月を超えて人気があるのはなぜでしょうか。


 それは、男女を問わず多くの人々にとって魅力のある人だったからだと思います。




 平安時代の貴族としては決して高い身分ではなく、差別的な攻撃を受けますが、それを乗り越えて自由に生きています。




 和歌も恋愛も真剣であり、その文学的才能と人柄が、今でも多くの人々の共感を呼んでいるのではないでしょうか。




 和泉式部の生没年は不詳です。

 ただ、有名な藤原道長や紫式部と同時代を生きたことは確かです。




 当時の越前守・大江雅致 (まさむね) の娘として生まれました。


 平安の貴族どうしの宮中でも厳然とした身分差別が存在しました。




 娘たちは父親の身分をそのまま引きずっていかざるをえなかったのです。

 父はいちおう地方の受領階級ではありましたが、京都では社会的地位が高いとはいえませんでした。




 では、彼女はどんな差別を受けたのでしょうか。




 まず、宮仕えしたときの同僚からこんな陰口を叩かれています。




 「たかが大進(三等官)でしょうに」


 明らかな身分差別ですね。




 さらに藤原道長からは 「浮かれた女」、紫式部からは 「けしからぬ」 と評されています。



 また、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王 (ためたかしんのう) との恋愛に際しては、夫から離縁され、父親からは身分違いの恋であるとして勘当されています。




 和泉式部は恋多き女性といわれています。

 結婚も2度しました。




 彼女の作品はほとんどが恋愛をテーマにしたものです。

 歌集や日記に実名で登場する男性だけでも9人。




 2人の夫はもちろんのこと、天皇の皇子も2人います。

 そのほかにももっと多くの男性との恋愛があったのではないかと思います。




 でも、本当に浮かれたけしからぬ女だと言いきることができるでしょうか。




 平安時代の結婚制度では、女性に拒否権はあっても最初の選択権は保障されていませんでした。


 自由恋愛といえるほど男女平等に恋を楽しんだわけではありません。




 和泉式部には自分の意に添わない男をきっぱりと断る強さがあり、自分の恋愛には自立とプライドがありました。

 その人間性と豊かな文学的才能に魅了された人も多かったのではないでしょうか。




 宮仕え当時の有名な藤原道長の娘、中宮・彰子 (しょうし) はすぐに和泉式部を気に入っています。




 実体験をもとにした数々の歌は、スキャンダラスではあってもいやらしさは感じられません。

 官能的ではあっても下品ではありません。




 むしろ身からにじみ出た痛みが、読む人を突き刺すほどの共感をよんでいるのではないでしょうか。

 たとえば、おなじみの百人一首の五十六番には、彼女の代表作の一つが載っています。




 「あらざらむ  この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 遭ふこともなが」




 意味: (わたしはもうすぐこの世からいなくなるかもしれない。

           せめてこの世の思い出として、もう一度あなたにお逢いしたい)




 こんな歌を贈られれば、たいていの男性はまいってしまいますね。




 この時代は、女性が複数の男性と付き合うことは別段とがめられることではなかったし、夫以外の男性を通わせることも自由だったのです。




 確かに批判はありましたが、魅力があるからこそ多くの男性が通ったのです。




彼女は身分差別を乗り越えて、自分らしく自由に生き抜いた人ではないかと僕は考えています。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/66-acca8d77