第2集 自由と平等にかけた人々「日本史編」




はじめに




 このブログは日本史の人物エッセイです。



 ただし、今までの日本史とは視点がちがいます。

 上から目線ではなく、一般民衆の立場から、自由・平等を中心とする基本的人権の獲得を中心テーマにしました。




 僕は、このような歴史のとらえ方を 「人権史観」 と呼んでいます。

 人権史観から日本史を見直すと、今まで見えなかったことが次々に見えてきます。




 僕たちは歴史から何を学ぶべきなのでしょうか。




 人の支配のしかたでしょうか。


 権力のにぎり方でしょうか。



 人権侵害のやり方でしょうか。



 答えは、いずれもノーですね。



 これからの時代に問われるのは、自分の 「立ち位置」 です。 



 歴史を

 「支配者の視点から見るのか、一般庶民の視点から見るのか」



 ということがとても大切になってくると思います。



 日本史上には、この人権侵害に向き合い、自由と平等のために命をかけて闘った先人たちがたくさんいます。

 彼らの生き方に学べば、生かせることがたくさんあります。



 たとえば、江戸時代の義民。

 僕は長い間、この江戸時代は 「平和な安定した時代」 だったととらえていました。




 これは将軍を頂点とする幕府という 「一部の支配者」 からの視点です。

 政権を争う戦乱がほとんどなかったということですね。




 しかし、当時の人口の8割以上は百姓です。




 収穫の半分前後にも及ぶ高い年貢。

 五人組制度によるきびしい規制。




 慶安の御触書による生活への細かい統制など、どう見ても自由で伸び伸びと生活できたと考えるには疑問が残ります。




 あげくの果てに、この時代に3,000件を超える百姓一揆が発生しています。


 それらの中心になり、一般庶民の立場から命をかけて戦った人々が 「義民」 ですね。




 この3,000という数字は、いったい何を物語っているのでしょうか。


 長い日本の歴史をよく見ると、それは 「支配と差別の歴史」 である、といっても過言でないくらいです。




 一般民衆の立場に立てば、




 「貴族」 という名の差別集団、

 「武士」 という名の暴力団、




 「会社」 という名の滅私奉公集団、

 「死刑」 という名の合法的な国家殺人




 など、基本的人権の侵害についながっている事例は古代から現在まで後を絶ちません。




 日本史上の数多くの悲劇は、根本において人を見下す 「差別心」 から発生しています。




 差別」は長い間、支配者の 「支配のための道具」 として使われてきました。

 そして今も世の中の至る所で使われています。




 このことに気づいていない人は、意外と多いのではないでしょうか。




 また、気づいていても、その差別と支配からなかなか抜け出せずに苦しみ、自分の生き方に疑問を持っていらっしゃる方の数は計り知れないと思います。




 僕自身も、数年前までまさにこのような状態でした。


 差別したり差別されたりという経験は、人間なら誰にでもあると思います。




 僕がこのブログを書こうと思ったきっかけは、不自由と差別心にとらわれている自分自身に、40年以上にわたって気づいていなかったという事実が根底にあるのです。




 このブログを書く目的は、日本史を見る視点を変えることによって、自由で心豊かに生き、 「差別意識から解放」 される人を一人でも増やすことにあります。




 学校の授業や、多くの歴史書ではなかなか気づかなかった 「人権史観」 を世界に広く伝えていこうと考えて執筆しました。



 そのためには、自由と平等をこよなく愛し、権力や差別と闘った日本の先駆者たちに光を当てることから始めたいと思います。



 これまでの自分の生き方に自分で気づき、その生き方を変えて、幸せになれる人が一人でも多く増えるように願っています。
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