4 グラックス兄弟 兄(前162年頃~前133年) 弟(前153年~前121年)




~貧しい人たちのために土地改革で命をかけた古代ローマの兄弟~





 グラックス兄弟は古代ローマの有力な貴族の出身で、母親は大スキピオ将軍の娘でした。

 ローマのめざましい発展の裏では、金持ちと貧しい者との差が歴然としていたという事実があります。




 兄のティベリウス・グラックスがローマの北方にあるエトルリアというところを通ったとき、彼は驚きます。


 そこにはイタリア農民の姿がなく、働いているのは外国人の奴隷ばかりでした。




 農地は一部の大土地所有者によって占有されていたわけです。



 厳然たる差別のために、小農民をはじめ多くの国民が苦しみ、一部の裕福な者たちがぜいたくな生活をしているという状態でした。



 つまり、一部の裕福な権力者たちと、大多数の貧しい国民という構造です。



 日本の奈良時代と似ているところがありますね。

 僕たちの日本の将来もこうならないようにしたいものですね。




 紀元前133年、ティベリウスが護民官に就任すると土地改革に乗り出しました。



 「大地主の土地を貧しい者に分け与えようではないか。

 そうすれば農民はもっとやる気になって作物をつくるだろう。



 たくさんの作物が取れればローマはもっと豊かになるでしょう」



 彼は大改革をすることにより、没落した小農民を復活させると同時に、国防を担った兵士を確保しようとしたのでした。



 法律で決められた面積以上の国有地を占有している地主から国有地を回収し、それを永代貸付農地として貧しい市民に分配しました。




 しかし、自分の土地を守りたい大土地所有者や、元老院議員らは猛反発しました。

 彼らはもう一人の護民官オクタウィウスに働きかけて、拒否権を発動させたのです。




 これに対してティベリウスは民会を動かして、農地法という法律を成立させて対抗しました。

 民会での可決は、元老院での可決と同等に扱われることになっていたからです。




 ローマ全体のことを考えて、貧しい人たちのために土地の権力者と必死に闘っているようすがうかがえますね。




 ところが、その後大きな転換点を迎えてしまいます。

 彼は翌年の護民官選挙にも立候補して闘いを続ける意思を表明してしまったのでした。



 これが命取りになってしまいます。

 当時の共和政ローマでは護民官の再選は認めておらず、明らかなルール違反になるからです。




 ティベリウスは王になろうとしているのではないかと非難され、改革の支持者までもが離れていきました。

 このような中で紀元前133年、民会会場に元老院勢力が乱入し、ティベリウスは殺害されてしまいました。




 結局、改革半ばで倒れてしまったのです。

 そらから9年後、弟のガイウス・グラックスも紀元前124年に護民官に就任し、兄の改革を受け継ごうと努力しました。




 ガイウスは騎士階級の支持をもとに、強い意志で最初から元老院との対決をあらわにしました。

 元老院の抵抗はすさまじく、戒厳令を発します。




 兄と同様に、貧しい人たちの立場に立って勇敢に闘ったガイウスは、結局同盟市に対するローマ公民権公布問題に巻き込まれ、最終的には自殺に追い込まれてしまいました。




 こうしてグラックス兄弟の改革は失敗に終わります。

 しかし、これ以後も彼らの主張を認め、彼らの遺志を受け継ごうという政治家が多数現れ続けました。




 同時にローマでは平民派と閥族派が長く対立を続けることになりました。




 多数の一般庶民が少数の権力者たちにいどんだ自由と平等をめざした闘いですね。



 国民の味方はグラックス兄弟であることは明白です。

 しかし、兄も弟も改革が少し急激だったことが悔やまれます。




 有力な貴族の出身でありながら、被差別の貧しい人々の立場に立ち、差別者である元老院や大地主と正面から闘い続けたグラックス兄弟。




僕は彼らこそ、共和政ローマの特筆するべき人物であると考えています。
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