15 アウンサンスーチー (1945年~     )




~軍事独裁と軟禁に耐え民主化運動を続けるミャンマーの女史~




 21世紀になってもまだ軍事独裁の国があったのですね。



 しかもアジア、日本から近い東南アジアのミャンマーです。

 僕は中学生や高校生のとき社会科地理の授業で、 「ビルマ」 という名で習いました。



 軍事力を背景に、ちょうど戦前の日本やドイツのファシズムのような人権侵害を日常的にやっている政権が存在していたのですね。



 人間としての自由が大幅に制限されているのですから、国民の大多数はこの軍事政権を支持していませんでした。

 それでも、力ずくで延々と政権を握り続けていたのです。



 このミャンマーで、国民の自由のために闘い続けてきた勇敢な女性がいます。


 名をアウンサンスーチーといいます。


 
 すでに日本の中学校社会科公民の教科書にも写真つきで登場し、世界でも話題になっています。

 アウンサンスーチーはミャンマー(当時のビルマ)の首都ヤンゴンで生まれています。



 父親はビルマ独立運動を主導し、その達成を目前にして暗殺された 「ビルマ建国の父」 アウンサン将軍です。

 1960年に母親がインド大使に着任したことをきっかけに、デリー大学で政治学を学んでいます。



 その後イギリスのオックスフォード大学、ロンドン大学、日本の京都大学でも学び、ニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会でも活動しました。



 1988年、彼女は母親の見舞いのために帰国し、民主化運動に参加します。

 同年、国民民主連盟 (NLD) を結成し、総書記になりました。



 NLDは、1990年に行われたミャンマーの総選挙で82%を獲得した政党です。


 この時点で、国民の最大の支持を受けていることは明白ですね。



 しかし、ミャンマーの軍事政権は彼女を三度にわたって自宅軟禁に追い込み、1100人もの民主化運動に参加した人々をも拘留したのです。



 当然のことながら、ミャンマーの軍事政権は世界中から非難されました。

 暴力による支配は熾烈(しれつ)を極めています。



 1989年から6年間、最初の自宅軟禁が行われます。



 2回目は2000年から2002年までの3年間、

 さらに2003年から2010年11月まで、3度目の軟禁状態に置かれました。



 まさに人権侵害を絵に描いたようなできごとですね。



 イギリス人の夫マイケルとも事実上引き離され、1999年、夫は病死しています。

 さらに軍事政権は、国内の少数民族に対しても容赦なく暴力で押さえつけます。



 強制移住、過酷な強制労働、家屋の焼き打ち、強姦、殺害など、人権侵害の嵐です。

 このような逆境の中でも、彼女の闘い方は 「非暴力」 です。



 アメリカのキング牧師やインドのガンジーと同じ闘い方ですね。

 演説を中心に粘り強く、支配と差別への抵抗を続けました。



 1988年の戒厳令下の集会で、50万人に向けて演説を行いました。

 全国遊説も行い、ミャンマーの著名人44人や、国際連合もスーチーを正しいと判断し、全面的に応援しています。



 彼女は言います。


 「国民の理解と支持を基盤に私たちはやっていきます。


 私を拘束した者に対しても、何の憎しみも抱いていません。



 私たちに自由を認めてくださいとだけ言います。

 自身の自由を要求するのです」



 2011年3月、民主化の第一歩が行われ、ようやくスーチーは釈放されました。

 保守的な勢力も強く、本当の自由を求めた闘いはこれからでしょう。



 徹底した非暴力、不服従の民主化運動ですね。



 まさにミャンマーの自由と平等を求めた解放運動です。

 国民の多くが、そして世界が彼女の生き方に共感しているのではないでしょうか。



 このことを、僕たちも他人事ではなく、自分自身の問題として共有し、自分には何ができるのか考え続けていきたいと思います。



 人間であるならだれでも求めるものは、差別からの解放であり、自由な生き方です。

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