14 キング牧師 (1929年~1968年)




~人種の壁を越え自由と平等にかけたアメリカの黒人牧師~




 「 私には夢がある 」  ( I Have a Dream )


 「夢」 とは、肌の色で差別されることがない社会をつくることを意味します。




 日本では中学校の英語や高校の世界史の教科書で取り上げられ、広く知られるようになりました。



 キングはジョージア州アトランタで生まれ、モアハウス大学卒業後、ペンシルベニア州のクローザー神学校を経て牧師になりました。



 その後1955年、ボストン大学神学部で博士号も取得しています。




 キングはどんな差別を受けたのでしょうか。




 まず、6歳のときです。




 隣に住む同年の白人の男の子2人と仲良く遊んでいましたが、彼らの母親が

 「黒人とは二度々遊ばせません!」



 と宣言し、引き離されたのです。



 高校時代には、帰りのバスの中で白人から 「席を譲れ」 と強制されました。


 また大学時代には、飲食店で彼が黒人であるという理由で、店員が注文を取りに来ませんでした。




 社会人になってからはバーミングハムで抗議デモの際、警察に逮捕され、拘置所の独房に投獄されたこともあります。




 これに対して、彼はどのような方法で黒人解放をめざしたのでしょうか。


 一言でいえば 「非暴力主義」 です。




 非暴力の抵抗を 「大衆市民不服従」 に発展させたのです。




 これはインドのガンジーから学んだものですね。




 例をあげれば、「モンゴメリー・バス・ボイコット運動」 です。




 白人からバスの席を譲ることを強制された黒人が、これを拒否して逮捕された事件をきっかけに、キングは全黒人にバスの乗車ボイコットを呼びかけたのです。




 連邦最高裁判所は、バス車内人種分離法違憲判決を下し、黒人たちの行動を認めました。




 約100年前、リンカーンが1862年に奴隷解放宣言をしましたが、制度はなくなっても人種差別は解消されませんでした。




 第二次世界大戦後も、特に学校やトイレ、プールなどの公共施設やバスなどの公共交通等において、白人と非白人の区別に基づき、異なる施設を用いることは容認されたままでした。




 水飲み場でさえ、「有色人種専用 」などというものがありました。




 1963年、公民権運動の一つであるバーミングハム運動では、丸腰の黒人青年に対し、警察犬をけしかけ、襲わせたり警棒での滅多打ち、高圧ホースで水をかけるなどの警官の暴力があり、事件映画として全米に報道されました。




 1963年8月28日、20万人の人々による 「ワシントン大行進」 が行われました。

 キングの公民権運動のクライマックスです。




 有名な演説 「 I Have a Dream 」 ( 私には夢がある ) もこのとき行われました。




 僕がここで注目したいことは、20万人という数の中身は黒人だけではないということです。


 画像をよく見ると白人たちもたくさんいるではないですか。




 自由と平等を求めた公民権運動は、人種を越えた運動としてその大切さが証明されているような感動的な映像でした。


 翌1964年、公民権法が制定され、法の上における人種差別は終わりを告げたのでした。




 しかし、キングはその4年後、白人による凶弾に倒れます。




 なぜなのでしょうか。




 アメリカは、人権上の課題が山積していると考えられます。

 日本もそうですが。




 僕は近年、毎年のように人権・同和教育の授業の一環として、NHKで放映された 「その時歴史は動いた」 の45分のDVDを生徒たちに見せています。




 キングが凶弾に倒れた事実を知って、視聴覚室のスクリーンに向かい涙する生徒の姿が後を絶ちません。

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