12 ジャヤワルダナ (1906年~1996年)




~外国人差別を乗り越えて生きた日本独立回復の父~




 第二次世界大戦に敗れた日本は、戦勝国から賠償金を取られてもおかしくなく、ドイツや朝鮮半島のように分割されてもおかしくない、極めて厳しい状況の下にありました。




 そうならなかったのはなぜでしょうか。




 この疑問を解く鍵を握る人物が、インドの南東にある小さな島国スリランカにいました。

 彼の名はジャヤワルダナといいます。




 彼と日本の間にはいったい何があったのでしょうか。



 1906年、ジャヤワルダナはスリランカのコロンボで生まれました。



 当時のスリランカはイギリス領セイロンと言って、自治があったとはいえイギリスの植民地でした。

 外国から国民全体が被差別の立場にあったのです。




 僕が小中学校のころは、セイロンという国名で習った記憶があります。 

 紅茶をたくさん輸出する仏教徒が多い国というぐらいの知識だったので、特にこれといって注目したことはありませんでした。




 ジャヤワルダナは、コロンボ法科大学で法律を学び、法律家になったこともありますが、どちらかといえば活動家でした。




 セイロン国家機構 (CNC) や国民連帯同盟などで活躍し、国際連合には蔵相として参加しています。

 後には首相やスリランカの初代大統領にもなりました。




 日本へも何回か来ており、政界引退後も訪日しています。

 両国の交流に尽力した人物だったのですね。




 僕が注目したい出来事は1951年の 「サンフランシスコ講和会議」 です。




 敗戦後6年、日本はGHQ (連合国軍総司令部) 占領の下、やっと国際社会へ復帰できるチャンスがめぐって来たのです。


 しかし、予想通り戦勝国の態度は上から目線で冷たいものでした。




「日本に今、この段階で平和を与えるのは、もってのほか」


「日本は南北に分割して統治すべき」




「日本を独立させるのは時期尚早」


などの意見が相次ぎました。




 これに真っ向から反対したのが、スリランカ代表のジャヤワルダナです。




 「憎しみを憎しみで返しても解決にはなりません。

 愛で解決することが必要です」




 と演説して、日本の独立回復と賠償金を取らないことを主張しました。


 戦争中に日本空軍は、スリランカをイギリス領として空爆し、多大な被害を与えているのです。




 それにもかかわらずこの発言です。

 彼のこの解放された演説の背景にはいったい何があるのでしょうか。




 僕は仏教の開祖、シャカの考えに基づく、差別から解放された生き方、考え方があるのではないかと思います。

 多くの戦勝国の代表たちは、彼のこの演説に動かされることになります。




 その延長線上に現在の日本の姿があることは容易に想像できますね。



 戦争という最大の人権侵害を乗り越えて、豊かな人権感覚をもち、日本の歴史上の大きなピンチを救ったジャヤワルダナ。





 彼は世界でもっとたくさんの人々に知られてもよい人物なのではないでしょうか。




 僕たち日本人なら、なおさらだと思いますが、いかがでしょうか。


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