8 ネルー (1889年~1964年)




~カーストの身分差別廃止と世界の平和共存をめざしたインドの初代首相~




 ガンジーとともにインド独立のために、非暴力・不服従でイギリスと闘った人物の一人です。



 ネルーはイギリスのケンブリッジ大学で学び、西欧的合理的精神を身につけたといわれています。

 ガンジーのもとで、インドの完全独立を要求する急進派である 「国民会議派」 の指導者になりました。



 ネルーもイギリスの不合理な権力によってたびたび投獄されていますが、くじけずに独立運動を続けていました。

 1929年、ネルーは国民会議派の大会で、イギリスからの完全な独立を訴えています。



 実際に独立を達成したのは1947年でした。

 言葉では表せない長くて苦しい闘いが続いていたのです。



 独立後の翌年、ガンジーは宗教差別の犠牲になり暗殺されてしまいました。



 インドの初代首相となったネルーは1950年、カーストによる差別禁止など、社会の近代化をめざす憲法を発布してインド共和国になりました。



 紀元前の時代から延々と続いている、インド独特のカースト制度とよばれる身分差別。


 これを憲法で否定したことは、世界史上の快挙といえると思います。



 しかし、長い間の慣習からか、実際には社会の隅々までカーストによる差別意識は残り、なかなかなくなっていきません。



 日本にも独特の部落差別という差別が厳然と存在します。

 就職差別や結婚差別が毎年のようにおこっています。



 僕の住む新潟県も決して例外ではありません。

 日本国憲法で否定されてもなかなかなくならないのは、インドとよく似ているのではないでしょうか。



 カーストは、僕にはとても遠い外国のこととは思えません。



 1954年、ネルーは中国の周恩来とともに平和五原則を発表しました。



 五つとは、

 1 領土・主権の尊重   2 相互不可侵   3 内政不干渉   4 平等互恵   5 平和的共存


 以上です。



 まさに人権感覚を大切にした、自由と平等をめざした画期的な発表でした。




 帝国主義政策をとっていた列強諸国に対して


 「あなたがたは、人を人とも思わない差別者だ」



  という言葉を突き付けたも同然です。



 この宣言は世界に大きく影響し、平和共存や第三世界の結集にも大きく寄与しました。



 予想以上の大きな反響に、彼は次のように提案します。



 「アジアの国だけでなく、アフリカ諸国にも呼びかけて、平和のための会議を開きましょう」




 これは、後に実現されました。


 1955年にインドネシアのバンドンで 「アジア・アフリカ会議」 が開催されたのです。



 長い間、人種差別や民族差別で苦しめられてきた発展途上国の人々が、結集して立ち上がり、人間が人間らしく生きるきっかけを作ったのです。



 また、前年の1954年、日本の第五福竜丸事件がおこりました。

 漁船の乗組員がアメリカの原水爆実験の犠牲になったのです。



 日本では、東京の杉並区の主婦たちが原水爆禁止の署名運動を始めました。



 インドのネルーはこれを他人事とは見なしませんでした。

 「わがインドはアメリカ合衆国とソビエト連邦に水爆実験の停止を提案する」




 しかしネルーの死後、現在のインドが 「核兵器保有国」 になっていることは周知の事実ですね。



 世界でたくさんの人々を苦しめてきた植民地支配や戦争。

 その背景には、明らかに人種差別や民族差別があります。



 また、インド国内でも、身分差別や宗教差別が依然として人権上の課題になっています。



 ネルーはこれら多くの差別と闘ってきた、長いインド史上の傑出した人物ではないでしょうか。


 広い視野をもった彼の人権感覚とその生き方に、僕たちを含めて世界の多くの人は大いに共感できると思います。



 世界の平和共存は人類共通の永遠の課題です。



 一人一人の幸福追求とともに、僕たちが世界にできることは何か、ということも同時に考えていきたいですね。

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