3 陳 勝 ( ? ~前209年) 



~中国史上初の身分差別に立ち向かった農民~



 中国を初めて統一したのは、秦(しん)という王朝です。

 紀元前221年のことでした。万里の長城で有名な、あの始皇帝が治めていた王朝ですね。



 このころの日本は、まだ弥生時代にあたります。

 始皇帝は、強力な皇帝として知られていますが、その急激な改革と思想の統一は、多くの人々の大きな反感を買いました。



 また、大規模な土木工事は、農民たちの負担を非常に重くしていました。

 力でおさえつけていた独裁者が病死すると、すぐに大きな反動が起こります。


 紀元前209年に起こった陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)ですね。


 僕はこの事件は 「乱」 というよりも、被差別の立場にある貧しい農民たちが、自由を求めて新しい国を作ろうとした 「農民解放運動」 と呼びたいのです。


 秦には極めてきびしい法律がありました。


 土木工事や万里の長城の守りにかりだされていくのに、命令された期日に少しでも遅れると、どんな理由があっても死刑になるというものです。



 人間を人間と思っていないんですね。


 「どんな理由があっても」 です。



 大雨で土木工事の期日に到着することが絶対的に不可能であることを悟った陳勝は、仲間の呉広らとともに立ち上がったのです。


 「どうせ殺されるんなら死ぬ気で戦うしかない」


 最初は900人で始まったこの過激な解放運動は、ひと月のうちに数万人にふくれあがりました。大軍となって秦の首都咸陽(かんよう) に迫ったほどです。



 いかに多くの人々がこのきびしい法律を支持してなかったことがよくわかります。

 陳勝は 「王侯将相いずくんぞ種あらんや」 とよびかけて立ち上がりました。



 これは 「王侯でも将軍でも決して種(血筋)で決まるものではない」 という人間平等の主張です。

 みんな同じ人間だから 「生まれや家がらなどは関係ない」 と言っているのです。



 秦王朝を倒して新しい国をつくることをめざして自分たちが立てば、必ず後に続くものが出ると考えました。

 ちなみに競馬の世界ではどうでしょうか。



 競走馬(サラブレッド) の先祖はわずか3頭しかいません。

 その血筋からはずれた馬はすべて駄馬とされるそうです。 



 競走馬の世界は血がすべてなのです。


 人間は努力をすれば、いろいろなものになることができる可能性があるのですばらしいですね。



 ただし、日本においても例外があります。

 天皇がそうですね。



 僕たちはいくら努力しても天皇になることはできません。

 この背景にはいったい何があるのでしょうか。



 こうして始まった自由と平等のための戦いは、半年後に結論が出ます。



 賛同者は数十万人にも達しましたが、強大な秦の軍事力にはかなわず、鎮圧されてしまします。

 陳勝、呉広ともに味方の裏切りにあって殺されてしまいました。



 結局目標を達成することはできませんでしたが、秦王朝は大いに動揺し、それから7年後の紀元前202年、あっけなく滅びました。



 陳勝が考えた通り、後に続くものが出て、劉邦(りゅうほう) がおこした漢王朝にとって代わられるのです。

 そして人権史観の視点から見れば、この後もまた似たようなことが次々に繰り返されています。



 こう考えると、明らかな差別者は始皇帝を頂点とする秦の権力者たちですね。

 農民の立場に立てば、陳勝は身分差別に立ち向かった英雄といえるでしょう。



 ただ、あまりにも正面からストレートに突き進んだために、結局武力でつぶされてしまいました。

 ほかに、手段としての選択肢は考えられなかったのかが惜しまれます。



 たとえば国外に逃亡するとか、集団による交渉とか。

 もっとも死刑を前にそんな余地すらなかったのかもしれませんね。



 僕は高校の世界史の教科書や資料集などで、陳勝はもっと大きく取り上げられてもよい人物なのではないかと考えています。
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