3 安重根 (1879年~1910年)




~日本の侵略から祖国を守ることに命をかけた韓国の義兵~




 まず最初に、はっきりと言っておかなければならないことがあります。



 日本では安重根 (あんじゅうこん) は、明治の元勲 (げんくん )である伊藤博文の 「暗殺者」 です。

 しかし、韓国では祖国を守ろうとして命をかけた 「英雄」 なのです。



 日本では罪人というイメージが強く、韓国では英雄。

 この違いはいったいどこからくるのでしょうか。



 一言でいえば、「差別者の立場」 からの見方と、「被差別者の立場」 からの見方の違いが出たまでです。



 差別者とは、当時の伊藤博文をはじめとする明治政府の役人たちです。

 江華島事件や日清戦争、日露戦争など、典型的な帝国主義政策を推し進め、着々と朝鮮半島を侵略しようとしていました。



 おそらく、当時の一般の日本国民の多くも差別者の立場にあったと考えられます。

 韓国・朝鮮民族を見下し、植民地支配を良しとする考え方が多くありました。



 その影響は、韓国や北朝鮮が日本の植民地支配から独立した現在でも、未だに「在日韓国・朝鮮人差別」という形で根強く残っています。



 一方、被差別の立場にあったのは朝鮮民族の人々です。



 自分たちの祖国が一方的に植民地にされようとしていたのです。

 民族差別の意識がその根底にあるのは明白ですね。



 朝鮮半島の人々が、この事実を黙って見ているわけがありません。



 このことは、相手の立場に立てば容易に理解できることだと思います。

 実際に多くの抵抗運動がおこりました。



 その数ある抵抗の中の一つとして、歴史の表面に強烈に現れたのが安重根の活動です。



 1907年、伊藤博文は韓国の皇帝の地位を皇太子に譲らせ、第三次日韓協約によって、韓国の内政を統監である伊藤のもとにおかせたのです。



 これは韓国が事実上日本の支配下に置かれたことを意味しています。



 安重根は、文武特権官僚階級の出でカトリック教徒です。

 反日武力抗争 (義兵闘争) に加わり、彼の部隊は300人ほどだったそうです。



 しかし部隊は壊滅。

 ロシアに亡命しました。



 ロシアのノボキエフスクという町で、12名の同志とともに 「断指同盟」 を結成しました。

 これは左手薬指を詰め、その血で国旗に 「大韓独立」 と書き、国のために身をささげることを誓った団体です。



 だから、安重根の左手薬指はありません。

 しかし、この同盟の詳細についてはあまりよくわかっていません。



 その後ウラジオストクへ移っています。

 そこで伊藤博文が満州に来るという情報を得て、素早くハルビンに向かったのでした。



 1909年、ついにハルビン駅で、安重根は伊藤を射殺しました。



 その場で逮捕されましたが、日本の警察の尋問を受ける中で、自らの考えを堂々と主張したため、取り調べ官や弁護士は、彼に敬意をいだいたのです。



 伊藤の罪状は閔妃 (びんひ) 殺害、皇帝廃位、軍隊解散など、合わせて15になり、自分は「東洋の平和」と「大韓独立」を願って行動したと主張しました。



 これは、安重根個人の考えというより、当時の朝鮮半島の人々の大多数の考えを代表しているものなのです。


 その証拠に、韓国では今も彼は英雄なのです。



 僕は殺人を肯定しているわけではありません。



 当然のことながら、これをやれば何らかの重い責任を負うことになります。

 ちなみに安重根は処刑されました。



 しかし、当時の明治政府の行動にも大きな問題があり、その後第二次世界大戦での壊滅的な敗戦という、もっと大変なことにつながったことは歴史が証明しています。



 結局、不幸になるのは差別を 「する側」 であることを再確認できる歴史的な事実の一つだと思います。



 殺人ではなく、もう少し安重根に何か他に打つ手があったら、と惜しまれてなりません。



 僕たち日本国民だって、もし植民地にされそうになったら、何らかの形で抵抗するのは当然のことだと思います。



 自由と平等を求めて 「解放運動」 を起こすことは必然でしょう。



 差別をされても、仲間とともに差別を乗り越える方法があるのではないでしょうか。

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