2 ガンジー (1869年~1948年)




~人種差別に対して非暴力と不服従で闘い続けたインド独立の父~




 暴力は振るわなくても、不合理な支配と差別には断固として服従しない。



 粘り強い抵抗で、ついに差別者たちは支配をあきらめて、被差別の立場にあるたくさんの人々の人権を認める。

 まさに正義の勝利を絵にかいたようなできごとですね。



 世界史の中でも、その人柄と生き方を大いに学びたい人物です。



 ガンジーは、インド西部の藩王国の宰相の子として生まれましたが、幼いころはシャイで目立たない子どもでした。



 勉強も好きではなく、特に算数の九九が暗記できなくて困っていました。

 その上怖がりで、真っ暗な夜の闇を特に怖がりました。



 弁護士になっても客がつかず、南アフリカへ行ったのも、インドでは食べられなかったから、というのが理由だといわれています。


 南アフリカでガンジーは人種差別を受けます。



 後に 「ターバン事件」 といわれるものです。

 裁判所を見学に行ったとき、裁判長にターバン (インドの人々が頭に巻いている白い布) を取れと強要されました。



 インド人にとってターバンを取るということは、人前で下着を取れと言われたことに等しいのです。



 ガンジーがこのことを新聞に投書すると、新聞はこのニュースをいっせいに報道し、思わぬところからガンジーの名は広く知られるようになりました。



 白人が支配していた南アフリカでは、黒人やインド人が激しい人種差別を受けていました。

 歩道を歩くことさえ許されず、列車は一等車には乗れず、貨物列車のような三等車に乗せられました。


 

 「戦いは、武器や銃を使うだけとは限りません。

 もちろん暴力でもありません。



 非暴力・不服従で闘うのです」



 ガンジーはこう主張してインド人協会をつくり、南アフリカ政府と交渉を行い、インド人だけにかけられていた税金を8分の1に減らしました。



 1913年、南アフリカ政府はついにインド人に対する差別をすべてやめました。



 帰国後も、ガンジーの自由のための闘いは続きます。


 1918年、第一次世界大戦が終わりますが、イギリスはインドとの約束を破ります。



 戦後の独立を約束しながら、独立どころか植民地支配をよいことに、ますます一方的な支配と差別を強めてきたのです。

 ガンジーを中心に、インドでは全国民がいっせいに仕事を休んだり、すわり込みをしたり、抗議の行進をしたりして抵抗しました。



 何度逮捕されても、決して暴力を使いませんでした。



 監獄では、あまりにも多数のインド人逮捕者が出たので食事も間に合わず、人数も収容しきれなくなり、かえってイギリスのほうが困ってしまいました。



 1935年、根負けしたイギリスはついにインドの自治を認め、47年には正式に独立を認めます。


 ガンジーは、1937年から48年にかけて5回もノーベル平和賞の候補になりましたが、これをすべて固辞しました。



 名誉や形にこだわらず、本当の解放を求めた彼らしい態度ですね。



 独立を達成したインドには、まだ強烈な人権上の課題がインド人同士で存在します。

 宗教差別をはじめ、古代から続くカースト制度という頑強な身分差別です。



 憲法では否定されていますが、インド社会の隅々まで厳然として残り、身分制度の外に置かれている不可触民も存在し、いまだに解放されていません。



 残念なことに、ガンジーは、意外にもインド人の宗教差別者の一方的な凶弾に突然倒れます。


 現在でも多くの国民からその死を惜しまれています。



 僕は人種差別と闘ったガンジーの信念に深く共感しています。


 そしてその不服従という闘い方も、現在および将来のさまざまな差別との闘いに、世界中で生かすことができると思います。



 ガンジーこそ、世界史上傑出した人権感覚の持ち主ではないでしょうか。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/45-0fa12fe3