1 孫 文 (1866年~1925年)




~民衆のための新しい国づくりに命をかけた中国革命の父~




  「中国の自由と平等」

  「民衆のための民主主義国家づくり」



  中国史上初めて基本的人権を前面に打ち出した人物が孫文です。


 「中国革命の父」 として、現在も多くの中国の人々から尊敬されています。



 皇帝や王の専制政治による支配が長く続いた中国において、世界的にも傑出した人権感覚の持ち主だと僕は考えています。



 異民族の支配と、さまざまな差別を乗り越えて生きた、歴史上なくてはならない人物の一人だと思います。

 日本の中学校や高校の教科書でも大きく取り上げられていますね。



 約300年続いた清朝末期、広東省に生まれた孫文は、12歳で兄を頼ってハワイのホノルルに渡りました。

 カトリックの学校で英語を学んでから、ハワイ大学に入学したのです。



 ここでアメリカのデモクラシーを学び、

 「異民族の清に支配されている中国に漢民族の政権を、西洋のような民主主義国家を」


 と考えるようになりました。



 3年後に帰国して1883年、香港に出てクイーンズカレッジで、イギリス流の教育を受けました。

 その後医学学校で学んで、1892年ごろから香港やマカオで医者として開業しています。



 つまり、孫文の職業は町の開業医だったのですね。


 1895年、広州で孫文はこう言っています。



 「私は子どものころ、よく太平天国の話を聞いて胸をおどらせたものです。

 今こそ清王朝を倒し、民主主義による共和政国家をつくるのだ」



 1905年、日本の東京で中国国民党の前身である 「中国同盟会」 を結成します。

 彼の活動開始の拠点は、僕たちの日本だったのですね。



 ここで彼の三民主義 (民族の独立、民権の伸長、民生の安定) が発表されて、多くの人々から支持を受けます。



 いよいよ革命運動開始です。



 1911年、第一革命がおこりました。

 いわゆる辛亥革命 (しんがいかくめい )です。



 軍隊が反旗をひるがえしたことをきっかけに、革命の炎はまたたく間に広がりました。

 わずか1か月の間に全国のほとんどの省が清から独立し、孫文が臨時大総統に選ばれたのです。。



 しかし、ここでじゃまが入りました。



 袁世凱 (えんせいがい) という男ですね。



 強大な軍事力をもつ彼は孫文とかけひきをし、臨時大総統の地位をゆずり受けさせたのです。

 袁世凱が目ざしたのは帝政であり、自分が皇帝になって独裁をねらいました。



 典型的な野心家であり、差別者ですね。

 当然、孫文とは敵対します。



 1913年、第二革命と呼ばれるできごとがおこりますが、孫文は失敗して日本へ亡命しました。



 1915年には第三革命がおこります。

 帝政反対で再び戦い、翌年袁世凱の帝政復活を取り消すことができました。




 「中華民国」 という名のアジアで初の共和政国家ができましたが、まだ軍閥の勢力が強く、中華民国政府はなかなか安定しませんでした。



 自由のための戦いはその後も延々と続いたのです。


 そんな中で1925年、孫文はがんに侵されます。




 「現在、革命いまだ成功せず」

 最後の言葉を残して、北京の病院で永眠しました。




 清という王朝からの民族差別。

 軍事力を背景にした袁世凱からの身分差別。




 列強諸国の帝国主義を背景にした軍閥たちからの差別。


 孫文はあまりにも多くの敵対勢力と、自由のために命をかけて戦い続けました。




 理想の実現半ばで病に倒れましたが、その人柄、人間を大切にする自由と平等のための思想と勇気ある行動は、世界の多くの人々の心に刻まれています。




 今後も中国だけでなく、世界中の人々の共感を得て語り継がれていくのではないでしょうか。
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