6 ウイリアム・ガリソン (1805年~1879年)




~ペンによる三十年戦争で奴隷解放をめざしたアメリカのジャーナリスト~




 アメリカ合衆国の独立以来、現在に至るまで大きな人権侵害が2世紀以上にわたって続いています。



 人種差別ですね。



 中でも黒人に対する差別は奴隷制という身分制度になって現れ、現在は制度としては否定されたものの、社会の隅々まで 「差別」 という形で根強く残っています。



 独立の父ワシントンやジェファソンもこの問題については気にしていましたが、当時は奴隷制を肯定する強力な世論があり、思い切った政策をとることができませんでした。



 ガリソンはこの奴隷解放のために、言葉で30年にわたって闘い続けた人物です。


 人権尊重の世論を作り上げた解放者だと思います。



 その延長線上に、あの有名なリンカーンの 「奴隷解放宣言」 があります。



 しかし近年は、リンカーンの奴隷解放宣言は、南北戦争に勝利するための戦略であり、国際世論を味方につけるためだった、という意見が多く言われるようになりました。



 僕はガリソンの活動こそ、真に被差別の立場に立った、人間を人間として尊重する解放運動だと考えています。



 彼は 「普遍的解放の天才」 とうボルティモアの新聞を編集したときに「ザ・ブラックリスト」という連続特集記事を組みました。



 この中でフランシス・ドットという人物が、奴隷貿易を行っている事実を取り上げたのです。



 ドットは船荷主で、持ち船のフランシス号という船を使って、ボルティモアからニューオーリンズまで奴隷を運んでいたのです。


 「奴隷運び人」 になっていたドットを新聞で批判したのですね。



 しかしガリソンは名誉毀損で訴えられ、メリーランド州の法廷は有罪の判決を下しました。



 50ドルの罰金と、裁判費用を支払うように命じられてしまいました。



 彼はお金がなかったのでこの費用を払えず、6ヶ月間の収監を宣告されましたが、タッパンという人物が罰金を肩代わりしてくれたので、7週間で釈放されました。



 また、ガリソンに対して、ジョージア州政府は逮捕に5000ドルの賞金をかけました。

 さらに 「殺害する」 という脅かしも何回も受けたことがあります。



 命までねらわれ執ような攻撃を受けたのでした。


 恐るべき差別者たちのいじめですね。




 1831年、ガリソンは奴隷制度の反対をさけぶ週刊新聞 「解放者」 を発行します。

 このため、アメリカ合衆国北部の奴隷解放運動はますます高まっていました。




 彼は奴隷制廃止運動家であるとともにジャーナリスト、社会改革者でもありました。

 「アメリカ反奴隷制度協会」 の創設者の一人でもあります。




 これだけでも、ガリソンがいかに積極的に人間の自由のために取り組んでいたかがわかりますね。


 彼の解放運動のやり方は、非暴力と消極的抵抗でした。




 ペン1本で粘り強く抵抗し続けたのです。


 1834年、ガリソンは結婚しました。




 相手は奴隷制度廃止論者で引退した商人の娘、エリザ・ベンソンです。

 よき理解者を得て、この夫婦には5人の息子と2人の娘が生まれています。




 彼の闘い 「ペンによる三十年戦争」 は、アメリカ全体に大きな影響を及ぼすことになります。

 1861年の南北戦争が、その延長線上に浮かびあげって来ます。




 そしてこの戦争のさなかに発せられたリンカーンの 「奴隷解放宣言」 につながるわけです。




 でも高校世界史の教科書では、奴隷解放はまるで当時の大統領リンカーンが一人でやったような印象を受ける記述になっているのが気になります。




 奴隷解放に真剣に取り組み、命の危険にさらされながら闘い続けたガリソンの名前は全く出てこないのです。


 このことを疑問に思うのは僕だけでしょうか。




 身の危険を乗り越えて、命がけで人種差別と闘い続けた勇気あるジャーナリスト。




 なかなかできることではないと思います。




 彼の名は、もっと多くの人々に知られてもよいのではないでしょうか。

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