fc2ブログ
~指導主事の見送り強制~  「そういうもんだ」・・・?


 僕が今まで勤めたことのある学校はどこへ行ってもそうですが、教職員の飲み会は本当に多かったです。何か行事があるたびに、やれ反省会だ、やれ激励会だ、などという具合です。


 年に少なくとも10回以上、多ければ20回前後にもなります。どの学校も参加して当然という雰囲気があり、飲み会を休むなどということは何か特別な事情があるときだけでした。


 自分の意志ではとても休みにくかったです。みんなストレスがいっぱいたまっていたのでしょう。 その中でたった一度、こんなことがありました。


何かの研究会の反省会と称する飲み会だったと思います。


勤務校の教職員はもちろん全員参加し、氏名は知りませんが指導主事と呼ばれる教育委員会の職員もお客さんとして参加していました。


宴たけなわで、僕も結構楽しく同僚と歓談していたときです。年配の教員である桑山さん(仮名)から突然言われました。


「お客さんが帰られるから玄関までお送りしなさい」 僕はとっさに 「えっ?なぜですか」


 命令口調だったのでカチンときました。彼の返答は一言です。「そういうもんだ」・・・ 諭すような言い方にまたカチンときましたが、あきらめて言われた通りにしました。


桑山さんは管理職ではありません。同僚たちからも嫌われていました。一方的な命令口調が多かったからです。 「あの先生、管理職でもないのに・・・」


 日頃からこんな不満が職員たちにうっ積していました。校長や教頭とはベッタリで、出世意欲丸出しの方でした。管理職予備軍です。 当時の僕は勤務校の最年少教員。


世の中には中身よりも 「形が大切」な時もあるということを若い後輩に教えようとしていたのでしょうか。ならば、「そういうもんだ」には感謝するべきです。


でもこれは半分。残りの半分は社会的身分差別により、人を見下した発言とも考えられます。僕だけでなく、他の教職員に対しても命令口調で見下した態度が日頃から目立っていました。


嫌な思いをする人が多く、よく職員間の噂の種になっていました。


 この社会的身分差別からきっぱりと解放されて生きた歴史上の人物がスウェーデンにいます。クリスティーナ女王です。父王の死により6歳で王位を継ぎ、18歳で親政を開始しました。


ドイツ語やフランス語、イタリア語、スペイン語を話すことができ、ラテン語も話すことができる才女です。会議では議事を見事に裁き、三十年戦争も講和に持ち込んで戦争を終結させました。


学術振興にも努め、哲学者のデカルトをはじめ、多くの学者を招いています。 


しかし、6歳の時から政略結婚の申し込みが後を絶たず、まわりも「結婚を強制」しようとする動きすらありました。


クリスティーナ女王にとって、当時の結婚は男性への従属を意味していました。


これに簡単に応じれば、結婚相手に服従することになり、自分の良心に従って生きることはできないことを見抜いていたのです。


王という身分は権力者ではあるけれど、自分が本当にしたいことができるとは限りません。 彼女の結論はこうです。「王位をすてる」・・・


本当にあこがれていたのは南国文化であり、住みたかったところはイタリアです。1654年、王位を従兄に譲り、あこがれの地ローマに向かいました。


男装に身をつつみ、まるで逃亡者のようにスウェーデンを脱出。新居を構え、詩人、芸術家、学者と接しながら彼女の後半生をローマで全うしました。


社会的身分差別意識から解放されたからこそ、勇気をもって自分が自分らしく生きることを実行できたのですね。
スポンサーサイト



Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/344-51cce0c4