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~学校要覧に職員の出身大学名を記載~



 学校要覧は保護者や地域の方々にわかりやすく紹介するために多くの学校で作成・発行されています。


 年間の授業、学校行事、生徒会活動、部活動など、その学校の良さ、特徴が写真や文章で表現されています。これから進学しようとしている生徒たちには必見のものですね。


 それぞれの学校ごとに創意工夫されています。校舎の写真や校長の挨拶分などはたいていの学校要覧には掲載されていますね。


 ところが、僕が今までに勤めたことがある学校の中で一校だけ、珍しいことが掲載されていました。


 A中学校としましょう。その学校要覧に、全教職員の氏名と出身大学名が堂々と記載されていたのです。


 これは個人情報でしょう。もう数十年前のことで、今でもやっているとは思えません。僕が今までに勤めた他の中学校や高校ではこのような記載は一切ありませんでした。


 A中学校では当然のことながら、生徒や保護者が教職員の出身校に興味を持ちました。 大学名の圧倒的多数はB大学です。いわゆる難関校の一つと考えられます。


 僕はC大学。同じ勤務校の教員で同窓の先輩が2人いましたが、全体としては少数派です。受験の難関校でもありません。今から思えば陰に陽に学歴差別にさらされていたと考えられます。


 職員間では結構出身大学の話題が出ました。特に飲み会のときなど、多数派の誇らしげな会話の場面があった事をいくつも覚えています。


 僕などは上から目線で見下され、馬鹿にされて呼び捨てにされたこともありました。その前に、僕が自分で自分を差別していたことも事実だと思います。


 歴史上の人物で、学歴差別と少し似た体験をした女性がいます。森 律子といいます。自分の母校から職業差別を受けて同窓会名簿から除籍されました。


 それでも差別に負けず自分の意志をつらぬき通しています。彼女は1890年、弁護士であり、代議士でもあった森 肇(はじめ)の二女として東京で生まれました。


 女優を目指した律子に対する父親の言葉です。 「家名を汚したらこれで死ね」 同時に短刀を渡されたのです。娘の命より家名が大切なのですね。


 彼女の弟もすごいです。第一高等学校(後の東京大学教養学部)に通っていましたが、次の言動はどうでしょう。 「姉が女優になるのが耐えられない」 と言って自殺してしまいました。


 これも差別はする側が不幸になるという典型的な事例と考えられますね。律子にとって女優になるということは命がけのことだったのです。


 他にもさまざまな誹謗中傷を受けましたが、1011年、帝国劇場でついに「女優・森律子」 が誕生しました。 


 大胆で愛嬌のある演技で、多くの観客を魅了した帝国劇場のスター女優になりました。


 律子の名前は 「帝劇全盛時代」 を築いた人として、同劇場の歴史にしっかりと刻み込まれました。女優という職業は、今でこそ華やかな印象を持つ人が多いですね。


 しかし、この時代はまだ社会的地位が低く見られていたのです。今では芸能界の歴史にはなくてはならない人でしょう。


 律子の母校、跡見学園女学校(後の跡見学園女子大学)は当時格式の高い良家のお嬢様が多く集まる学校でした。


 卒業生の女優・森 律子に対する仕打ちは 「河原乞食なんぞもってのほか」 と言って同窓会名簿から彼女の名前を除籍したことは上記の通りです。


 これでは 「自分たち同窓会は差別者です」 と公言しているのと同じですね。あれから約100年、この残念な事実は何か変化があったのでしょうか、まだ変わっていないのでしょうか。
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