4 バイロン (1788年~1824年)




~ギリシア独立戦争にかけつけた恋多きイギリスの詩人~




 バイロンは、19世紀初期のイギリスのロマン主義を代表する詩人として知られています。



 男爵の家系を引きながら、奇行の多い両親の間に生まれたせいか、人間形成に暗い影を落としたといわれています。

 父の死後、バイロン卿となって、ケンブリッジ大学卒業の翌年、上院議員になりました。



 彼は偽善的な貴族社会にあきあきして、反抗的な精神をもっていました。

 南欧諸国や中近東を旅し、その間の思いを綴った物語詩 「チャイルド・ハロルドの巡礼」 で詩壇に迎えられています。



 その後ロンドンに移り住むと、社交界の花形として脚光を浴びるようになりました。

 バイロンが23歳のころです。



 風貌の美しさにひかれて、有閑な婦人たちは彼の出席する宴会に殺到しました。

 まさに社交界の寵児(ちょうじ)ですね。



 しかし彼は貴族社会に幻滅しており、冷笑的になっていました。

 「恋多き詩人」



 と言われましたが、やがて奔放な女性遍歴や酒と色におぼれただらしない生活を非難されるようになります。



 だから、故国のイギリスを捨ててヨーロッパ大陸に渡り、各地を歩き回りながら詩作を続けたのでした。

その作風は、自由かつ強烈な風刺精神で知られています。



 1821年、イスラム教徒のオスマントルコ帝国の圧政に苦しんでいたキリスト教徒のギリシア人は、独立戦争を開始しました。



 ギリシアは翌1822年、オスマン帝国からの独立を宣言し、フランスやイギリス、ロシアなどの援助を受けながら戦いを続けたのでした。



 まさに自由のための戦いですね。



 このギリシアの独立戦争には、多くのヨーロッパ人が参加しています。


 この中にイギリスの大詩人バイロンがいたのです。




 彼はこのギリシアで没しているので、後に

 「ギリシア独立の英雄」 の一人として知られるようになりました。



 1823年、バイロンは義勇軍として参加するため、ギリシアに向かいました。

 途中は海のしけに見舞われ、出没するトルコ艦隊にもかなり苦しめられました。



 どうにかギリシアのミソロンギに着いたときには、バイロンは病で倒れてしまいました。

 伝染病のマラリアです。



 そして

 「私はもう眠らねばならぬ」



 と最後の言葉を残し、そのまま帰らぬ人になってしまいました。

 1824年のことです。



 結果は、わざわざマラリアで死ぬために、勇んでギリシアへ行くようなことになってしまったのです。

 つまり、バイロンはオスマン帝国と戦う前に病死したのです。



 無念の死であったことでしょう。

 自由のために命をかけて戦おうとしていた矢先のことでした。



 最終的にギリシアが完全に独立を達成するのは、それから5年後の1829年のことでした。

 バイロンはギリシア独立の英雄と呼ばれながらも、実際には戦闘に参加できずに終わってしまいました。



 しかし、彼が遠くギリシアまで駆けつけたという行為は、本人の一生を象徴している出来事だと思います。



 バイロンの一生は 「自由」 の一文字を貫いているような生き方だったから、本人は意外と納得して死んでいったのかもしれません。



 僕が彼の生き方に共感できることは、自分が貴族の出身でありながら貴族社会の型にはまろうとしなかったことです。


 これは、差別意識から解放されていたからだと考えられます。



 地位と肩書がものを言い、上下関係すなわち支配と身分差別が横行していては不自由で、人間らしく生きることはできません。



 批判はあったけれど、奔放な女性遍歴、生涯詩人として創作活動を行ったこと、イギリスを捨てたこと、ギリシアへ駆けつけたこともすべて



 「自由のための闘い」



 であったと僕は考えています。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/33-4b51c40e