3 シモン・ボリバル (1783年~1830年)




~植民地の解放に命をかけたベネズエラの白人~




 「太陽の沈まぬ国」 と豪語した人がいます。


 スペインの全盛期を築いた国王フェリペ2世です。



 世界中に広大な植民地をもっていたので、1日24時間、スペイン領のどこかが必ず日に当たっていたということですね。



 ラテンアメリカの大半は、16世紀頃から始まった大航海時代をきっかけに、長い間スペインの植民地と化していました。

 先住民たちの国であったアステカ帝国やインカ帝国も、スペインによって次々に滅ぼされていました。



 この広大な中南米を支配したスペインは何をしたのでしょうか。



 一言でいえば 「略奪」 です。



 先住民のインディオと、西アフリカから移入させた黒人奴隷を働かせて鉱山を開発し、莫大な金銀を独占しました。



 このほかプランテーション農業や、都市の建設などでも過酷な労働を強制し、さらにスペインがもたらした天然痘やインフルエンザが流行したため、先住民の人口は目を覆うほど激減しました。




 人を人として扱わない人権侵害が公然とまかり通っていたわけですね。




 シモン・ボリバルはこのような状況の中で、ベネズエラの名門クリオーリョ(植民地生まれの白人)の家に生まれました。

 カラカスの裕福な貴族の家だったのですね。




 両親を早くに亡くしましたが、乳母と家庭教師の深い愛情により育てられました。

 15歳のときには軍に入り少尉になりました。




 その後、学問のため本国スペインに渡り、1802年にはフランスに渡りました。


 ここで学んだ啓蒙思想が後の彼の行動を決定づけることになったのかもしれません。




 スペインにもどったシモン・ボリバルは、マドリードでマリアという名の貴族の娘と結婚しました。



 しかし、幸せは長く続きませんでした。

 わずか1年後、最愛の妻が死亡してしまったのです。



 本人の告白によれば、この妻の死が転機となり、祖国解放の独立運動に身を投げることになったのだそうです。

 妻をよほど愛していたのでしょう。



 彼はその後、生涯再婚をしていません。



 1806年、ベネズエラ独立運動に身を投じ、1811年には、「ベネズエラ独立宣言」 が行われました。



 これにより、中南米の独立戦争が本格化していきましたが、一時敗れてキューバに避難しました。

 1815年にもスペインの鎮圧軍に敗れ、しばらくの間、ハイチ等で身を潜めたこともありました。



 この 「鎮圧軍」 という言葉は、上から目線の言葉ではないでしょうか。



 植民地の人々の立場に立てば、植民地軍は 「解放軍」 と呼ぶのが適切だと思います。



 ついに、1819年、シモン・ボリバルはコロンビアのボヤカの戦いでスペイン軍を破りました。

 同年11月、エクアドル、コロンビア、ベネズエラが合併してできた 「大コロンビア共和国」 を樹立したのでした。



 その後ボリバルは、ペルーを独立に導いたパンパの戦い、アヤクーチョの戦いでも勝利しました。


 後に独立した 「ボリビア」 の国名は彼の名、「ボリバル」 によるものです。



 ところが、なかなかすんなりとはいきません。

 部下たちの裏切りにあい、各地の利害が対立したので、1830年に大コロンビア共和国は分裂してしまいます。




 この頃から胸の病にかかり、失意のうちに他界しました。

 享年47歳でした。




 彼はラテンアメリカの解放者であり、独立の父です。




 僕が彼に共感できることは、先住民ではなく白人でありながら、先住民の立場に立って解放運動に命をかけたという点です。



 裕福な家でしたが、財産はほとんど使い果たしました。



 先住民インディオを人間として尊重し、自由のために命がけで戦った白人。




 彼こそ世界史の中でもっと大きな光を当てられてもいい人物ではないでしょうか。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/32-2f646e3e