14 ラファイエット (1757年~1834年)




~身分差別を乗り越えて人権宣言を起草したフランスの貴族~




 世界史上あまりにも有名な人権宣言。

 この内容を、僕の言葉で要約すると次のようになります。




一、人間は生まれながらにして自由、平等である。


二、自由、所有権、安全、圧政への抵抗は人間の権利である。




三、国家の主権は人民にある。


四、思想、言論、出版の自由は保障する。




五、法の前に人はみな平等である。


六、司法、行政、立法の三権はそれぞれ独立の機関とする。





 まさに、近代国家の基本原理を見事に表現していますね。


 この人権宣言の起草者が、フランスのラファイエットです。




 彼は意外にも、名門貴族の出身でした。

 当時は第二身分とよばれる特権階級です。



 しかし、平民である第三身分の代表として議員になっていました。



 勇気ある行動ではないでしょうか。



 ラファイエットは20歳のときに、自ら進んでアメリカの独立戦争に参加しています。

 ジョージ・ワシントンの指揮下に入り、大陸軍を預かって、東海岸を中心にイギリス軍を追い回しました。




 武門の誉れ高い貴族であり、数々の勲章を手に、独立を達成したアメリカから帰国したとき、ラファイエットはフランスの国民的英雄になっていました。




 この時点で、すでに彼は自由のための戦いを実践した人物といえますね。


 貴族であっても一般庶民の立場に立てる、豊かな 「人権感覚」 の持ち主だと思います。




 フランス革命では、バスチーユ牢獄の襲撃を成功させると、国民衛兵軍の総司令官になっています。


 1789年8月26日、ラファイエットが書いた人権宣言が、国民議会によって採択されました。




 「ただ今より人権宣言を読み上げます。

 人権宣言は市民の自由と平等を保証し、新しい市民社会の確立をめざしたものです。」




 これは歴史的瞬間ですね。




 この後世界各国の憲法に、計り知れない多大な影響を及ぼすことになります。

 国際連合の 「世界人権宣言」 への第一歩にもなったと思います。




 ラファイエットは、基本的にはイギリスのような立憲王政を考えていたようです。

 ベルサイユ宮殿に出向き、国王ルイ16世にパリにもどるように説得して、実現させています。




 彼は国王さえしっかりすれば革命は収拾すると考えていました。



 しかしルイ16世は、王妃マリー・アントワネットに動かされて国外への逃亡未遂事件を起こし、強制的にパリに連れ戻されてしまいました。




 国王は誰のためにいるのでしょうか。




 これではもはや、王政への信頼は地に落ちたも同然です。


 王政を廃止し、あくまでも共和政を主張するロベスピエールと対立し、政権を奪われることになりました。




 しかし、このロベスピエールも反対派を次々にギロチンで処刑する 「恐怖政治」 を行ったため、自らもギロチンで命を落とすはめになりました。




 このようにフランス革命は迷走します。




 ラファイエットも一度はクーデターを考えたり、軍部をバックに軍事政権を考えたこともありました。



 しかし、諸外国のフランス革命への干渉が強まると、軍事介入してきたプロイセンとの戦いで敗れ、敵側に逃亡したので信頼と栄光を失ってしまいました。




 結局、最後は挫折した印象が残りますが、僕はラファイエットの生き方に、3つ共感できます。




 まず貴族という身分にこだわらず、堂々と 「平民」 として生きたことです。

 次に 「自由」 を求めたアメリカの独立に命をかけて貢献したこと。




 さらにフランス革命の成果ともいえる 「人権宣言」 を作成したことです。




 彼は、多くの国民を差別しようと思えば、簡単にできた立場です。


 しかし、自らの差別心を乗り越えて自由に生き、多くの国民と対等に生きる道を目指しました。




 納得のいく人生を送ることができた、学ぶところが多い人物ではないでしょうか。

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