13 シエイエス (1748年~1836年)




~身分差別を乗り越えて国民議会を作ったフランスの僧侶~




 フランスの身分差別は、僧侶が第一身分、貴族が第二身分、平民が第三身分というものでした。



 人口の9割が第三身分でしたが、上の2つの身分は、広大な土地とすべての重要官職をにぎり、税を納めなくてよい、などの特権をもっていました。



 つまり少数の差別者が大多数の国民を支配し、その 「道具」 として身分差別が使われていたのです。



 1302年、当時の国王フィリップ4世は 「三部会」 を開きました。

 これは3つの身分の代表者からなる議会で1789年のフランス革命まで、実に400年以上も続いていました。



 僧侶と貴族に都合のよい差別国会です。



 シエイエスは僧侶ですので、この区分によると明らかに第一身分という特権階級になりますが、パリの第三身分の代表として議員になっていました。



 なかなかできることではないですね。



 そして1789年初めには 「第三身分とは何か」 という小冊子を書いて、第三身分の権利を主張していました。



 彼は三部会で発言します。


 「税は国民がみな公平に負担するべきである。われわれ第三身分は、僧侶や貴族も税をはらうことを要求する。」




 これに対して、特権を放したくない僧侶や貴族たちは要求を認めません。




 そこで彼はさらに 「いつまでもそんな特権を認めるわけにはいかない。

 僧侶も貴族もわれらと同じフランス国民ではないか。」 と食い下がります。




 上位の2つの身分は、そこで投票で決めようと言いだします。


 しかし当時の採決方法は、3つのうち2つの身分の賛成がないと可決できない仕組みになっていました。



 これも公平ではなく、差別的な決定方法ですね。


 シエイエスは呼びかけます。


 「これまで通りの採決方法では貴族たちが勝つに決まっている。

 われわれ第三身分の議員こそ国民の代表である。


 第三身分のわれわれだけで議会を開こう。」



 こうして生まれたのが 「国民議会」 です。



 少数ながら上の2つの身分にもこれを認める、心ある人たちがいました。

 人権感覚豊かな、差別意識から解放された勇気ある行動です。



 しかし、妨害を受けます。

 議場に入れないようにされてしまったのです。



 これでも、シエイエスは決してあきらめません。



 「よろしい。議場に入らなくても議会は開ける。

 諸君、室内のテニスコートに集まってくれ。



 そこで議会を開こう。

 われわれ国民議会の手で新しい憲法を作ろうではないか。」



 ここで憲法ができるまで国民議会は解散しないことが約束されました。



 これが世界史上有名な 「テニスコートの誓い」 です。



 国王ルイ16世も最初は難色を示していましたが、譲歩してこれを認めました。


 1789年6月のことです。



 そして翌7月、ついに 「フランス革命」 が始まったのです。


 人権宣言が採択され、憲法が制定され、王政を廃止してフランスは共和政になりました。



 しかし、平民どうしでもさまざまな立場や考えの人々がいて、いくつもの派にも分かれたので、フランス革命は混迷を続けました。



 1799年、総裁政府のときシエイエスは総裁になっていました。

 このときナポレオンを迎え入れたことが、後の世界史を大きく書きかえるきっかけになります。



 1804年、国民の圧倒的人気を背景に皇帝ナポレオン1世が即位し、フランスは帝政になってしまったのです。




 自由と平等をめざして始まったフランス革命。

 僕はシエイエスこそフランス革命の仕掛け人だと思います。




 僧侶という聖職者の身分でありながら、平民の立場に立って、多くの国民と課題を共有し差別と闘いました。

 そして、国民議会を作って差別に決して負けませんでした。




 僕は彼の生き方に共感し学ぶことがあると考えています。



 この時代の世界史は、華やかな王妃マリー・アントワネットや国王ルイ16世、ロベスピエールやナポレオンなどがよく話題になります。



 しかし、人権問題と差別に注目すると、シエイエスをもっと大きく取り上げてもいいのではないでしょうか。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/28-74bf7e6c