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5 後水尾天皇(ごみずのおてんのう) (1596 ~ 1680)3uwl1b






~侮辱されて心労に悩まされながらも長寿を全うした天皇~






 中学校の歴史教科書には、江戸時代の天皇が一人も出てこないという事実をご存知でしょうか。

 それほど、政治に関しては影が薄かったということでしょう。




 まるでこの時代には、天皇が存在しなかったと誤解されそうですね。

 しかし、強権を誇る江戸幕府に向かって、苦しみながらも抵抗した人物が後水尾天皇です。




 不思議なことに、彼は85年の長寿を全うしています。

 昭和天皇に次ぐ、歴代2位の長さです。




 この背景には、いったい何があるのでしょうか。

 1596年、後水尾天皇は後陽成天皇の第三皇子として生まれました。




 まだ豊臣秀吉が生きていて、関ヶ原の戦いの4年前にあたります。

 父親は、別の皇子に天皇の位を譲るつもりでした。




 しかし、ここで横槍が入ります。

 徳川家康です。




 別の皇子は、秀吉の息がかかっているということで反対しました。

 だから、後水尾天皇の即位は家康が決めたようなものです。




 1611年、16歳のときに正式に天皇として即位しました。

 江戸時代初期にあたりますね。




 1613年、天皇を中心とする朝廷にとっては、前代未聞の法律が発布されます。

 禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと) です。




 天皇家の法律を、武家が勝手に決めたわけです。




 政治だけでなく、元号の制定をはじめとする朝廷のこと、宮中のこと、何をするにも幕府の許可がいるというものです。




 朝廷は幕府の支配下、管理下に置かれることになったのです。

 天皇にとっては大きな侮辱ですね。




 すんなりと認めるわけにはいかないでしょう。

 1627年、紫衣事件(しえじけん) がおこります。




 後水尾天皇は従来の慣例通り、幕府に諮らず十数人の僧侶に紫衣着用の勅許を与えました。




 これに対して3代将軍徳川家光は、勅許状の無効を宣言し、京都所司代・板倉重宗に法度違反の紫衣を取り上げるように命じたのです。




 これで天皇のプライドは、ズタズタにされたと考えられますね。

 さらに、反対してきた高僧たちは、流罪にされてしまいました。




 幕府の法度は、天皇の勅許よりも優先することが示されたのです。

 後水尾天皇にとっては、計り知れない心労に悩まされたことでしょう。




 1629年、将軍家光の乳母である春日局は、無位無冠で天皇に拝謁しました。

 このことにも、後水尾天皇は激怒しています。




 とうとう、後水尾天皇は譲位を決意します。

 妻の一人は、家光の末の妹である和子です。




 その和子が産んだ娘、7歳の女一宮に幕府の機先を制して、電撃的に天皇の位を譲ったのです。

 彼女は、明正天皇として即位しました。




 奈良時代以来の、久々の女帝が誕生しました。

 860年ぶりになります。




 そして自分は退位して、院政を行いました。

 この譲位劇には裏があります。




 なぜなら、女性の天皇は子どもを産んではいけなかったからです。

 つまり、その次の天皇は血縁が別の人が継ぐことになります。




 徳川氏との関係は、一代限りで終わりということですね。

 巧みに、幕府との縁を切ったことになるのです。




 将来的にも、天皇の外祖父を続けていこうとねらっていた徳川将軍家にとっては、大きな打撃になったのです。



 その後の後水尾天皇は、どのような意識をもって江戸時代を生き抜いていったのでしょうか。




 詳細は本人にしかわからないと思います。




 だだ、事実としてはっきりしていることは、彼は権力者である将軍家光よりも早く生まれながら、30年ほども長生きしているのです。




 この時代の85歳は、現在の100歳以上にも相当する長寿ではないでしょうか。




 幕府に権力は奪われましたが、もしかしたらそれと引き換えに意識改革が行われ、精神的に解放されていったのかもしれません。




 健康であったからこそ長生きをすることができた、と僕は考えています。
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