9 ワシントン (1732年~1799年)




~自由と独立に命をかけたアメリカ建国の父~




 僕がジョージ・ワシントンの生き方に共感できることは、権力への野心がなく、純粋に自由と独立に命をかけたという事実です。



 古代ローマの英雄カエサルや、イギリス・清教徒革命の立役者クロムウェルなどは、権力への野心が強烈で、最終的には独裁者になりました。



 結局だれのための国づくりだったのでしょうか。



 でもワシントンは違います。


権力を握ろうと思えばいつでもできる立場にありながら、決してそうはしませんでした。



 まず、初代大統領の就任を最初は断っています。


 次に国民に推されて、大統領そのものは二期8年間だけ務めましたが、三期目も3選されながら、断固として辞退しました。



 「12年も国家の代表になるのは、自分の信じる共和政にふさわしくない。

 あまり長くなると、民主政治にとってマイナスである」



 という 「決別の辞」 発表して、あざやかな引き際を見せました。



 彼の再選を望む声は多かったのですが、それを固辞して農園にもどり、国民の一人として悠々自適の生活を送っています。



 ちなみに二期目のときも辞退しようとしましたが、ジェファソンの熱心な説得により、やむをえず引き受けたといういきさつがあります。



もし権力に目がくらんだ人間ならここまでできるでしょうか。



 1732年、ワシントンはヴァージニア植民地のウエストモーランドで農園主の子として生まれました。


もちろん植民地ですので、本国イギリスの支配と差別にさらされていました。



 11歳のときに父を亡くし、義兄の養子にされました。

こうした事情から彼は正式な学校教育を受けていません。



10代半ばごろから土地測量技師として働きますが、各州へ旅に出ることが多くありました。



 1752年になると、ヴァージニア民兵軍の副官に迎えられています。

やがて大農場主の未亡人であるマーサと結婚し、農場経営に専念しました。

 

 1774年、第1回大陸会議にヴァージニア代表として参加したワシントンはこう発言しています。



「イギリス国王に手紙を送り、植民地の生活を苦しめるような政治はやめるように申し込もう」



 最初から武力ではなく、言論による正当な交渉から始めていますね。

 イギリスは上から目線で植民地を見下し、「ノー」 の返事をしました。



 しかし翌年第2回大陸会議では、ワシントンは植民地軍総司令官に任命されました。


やむをえず 「自由の国アメリカの独立のために戦おう」 と決意しました。



 アメリカ独立戦争の始まりです。



 隊列をきちんと整えたイギリスの正規軍に対し、ゲリラ戦で相手に大きな損害を与えてはすばやく退く、という戦法で応戦しました。



 この戦いの中で、彼は将校用の宿舎ができても入らず、兵士とともに丸太運びをしたり、兵士たちと同じものを食べていました。



 僕が注目したいのは、独立戦争におけるワシントンのすぐれた戦術よりも、一般民衆とともにあり、同じ目線で対等の立場に立って、精いっぱいできることやり続けた生き方そのものです。




 ワシントンがすぐれた人権感覚の持ち主であったと考えるのは僕だけでしょうか。



 独立後、軍隊の解散を宣言し、もとの農場主に戻ったことも注目ですね。

 このためアメリカは、粛清 (しゅくせい) や恐怖政治などの混乱におちいることがなかったのです。



 ワシントンのこの行動を、彼の最大の功績だとたたえる史家もいます。



 そして彼の遺言には、自分が妻マーサに先立たれていた場合に限ってという条件ではありますが、農場が所有している「奴隷たちの解放」 に関する条項があったそうです。



 彼はすでに人種差別、民族差別の問題も考えはじめていたのですね。

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