8 ルソー (1712年~1778年)




~人民主権を主張したフランスの思想家~




 波瀾万丈の人生を送った世界的に有名な啓蒙思想家です。



 ルソーはスイスのジュネーブの時計屋の息子として生まれましたが、生後間もなく母親を失っています。 

 さらに10歳のときには父親が蒸発し、孤独と貧困の少年時代を送っています。



 およそ温かい家庭や教育とは、無縁の生活を余儀なくされていますね。



 19歳のとき、パリで12歳年上のヴァラン夫人から学問の手ほどきを受けました。

 母親の愛情に飢えていたのでしょうか、青年ルソーはヴァラン夫人を 「ママン」 と呼び、夫人はルソーを 「坊や」 と呼びました。



 21歳のとき愛人関係にまでなりましたが、ふられたそうです。

 32歳になると、下宿屋で働いていたテレーズ・ル・バスールと同棲を始めています。



 テレーズは無学な女性でしたが、気立てがよく働き者でした。

 彼女との間には5人の子どもが生まれました。



 ルソーは各地を放浪しながら、秘書、音楽教師、作曲家とさまざまな職業を経験しました。

 彼は音楽活動で、音符記号を発明したりオペラを上演したりしました。



 日本人におなじみの童謡「むすんでひらいて」のメロディーは、ルソーがオペラ用に作曲したものです。



 38歳になってから思想家らしい活動が始まります。



 パリで応募した懸賞論文 「学問芸術論」 が多大なる評価を得てから以降 「人間不平等起源論」 「エミール」 といった論文で文明社会を痛烈に批判し、自由・平等を説いて派手な脚光を浴びました。



 有名な 「社会契約論」 では万人の平等にもとづく人民主権論を主張し、後のフランス革命に大きな影響を及ぼしました。


 僕は彼の思想は、基本的人権の視点から極めて共感できるものであり、世界を動かした世界史上なくてはならない人物だと考えています。



 「エミール」 は一種の教育論とでも言うべき内容で、大学時代に教員免許状を取得しようとしていた僕などは、担当の教授から全文を読むことを課題とされ、レポートを書かなければ単位を取得することができませんでした。



 ところが大きな疑問があります。



 ルソーはテレーズが自分やその友人たちと同じテーブルにつくことを許しませんでした。



 これは女性差別ではないでしょうか。



 さらに 「エミール」 の教育論では 「人間の自然性を損なわないように子どもを教育するには、何よりその父と母自らがわが子の教育にあたらなければならない」 といっているのに、彼の5人の子どもたちは全員施設送りにされています。



 明らかな言行不一致ですね。



 啓蒙思想家のヴォルテールは 

 「ルソーは言っていることとやっていることが違う」

 と強い口調で非難しています。



 ルソーは後に自らの行いを悔い 「父親の義務を果たすことのできない者は、父親になる権利はない」 と言っています。


 まさに彼自身のことであり、自分自身を見下す 「自分差別」 とも考えられます。



 それは「ならず者の自分を父に持つより、孤児院で育てられたほうが子どもたちにとって幸せなのだ」とも述べているからです。

 
 さらに晩年、友人にあてた手紙の中では「あのあやまちを償えずに死ぬのは残念だ」と懺悔 (ざんげ) しています。




 もしかしたら、ルソーは自分自身の差別心から解放されたからこそ、あのようなすぐれた著作を何冊も書くことができたのかもしれませんね。




 言行不一致と批判するのは簡単ですが、不幸な生い立ちから始まり、自分自身の多くの苦い差別体験に気がつき、それらを乗り越えたところに彼の人権思想があったのかも知れない、と考えるのはいかがでしょうか。


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