7 藤原定子 (977 ~ 1000)





~同族の権力争いの犠牲になり若死にした才色兼備の皇后~





 生涯、一条天皇に愛され続けた藤原定子(ふじわらのていし)。

 仲の良い夫婦で、3人の子どもにも恵まれました。




 美貌で明るく、知性と教養が豊かでした。

 「枕草子」 で有名な清少納言が仕えた女性でもあります。




 その人柄はつんつんとしたところが一つもなく、周りの者にも好かれ、朗らかに行動することができました。



 しかし、定子の生涯はわずか24年。




 いったい、彼女の身に何があったのでしょうか。




 977年、定子は藤原氏の中でも日の出の勢いで、後に摂政や関白にも就任することになる藤原道隆の長女として生まれました。




 父親は明朗で、群を抜いたハンサムな男性です。




 陽気で、いつも冗談を言っては周りを朗らかにする性格でした。

 母親は宮中に仕える女官で、漢文学者でもある才能豊かな人でした。




 定子は両親の良いところを受け継いで、魅力的な女性に成長していったのです。

 994年、定子が14歳のとき、早々と入内することになります。




 相手はまだ11歳の一条天皇です。

 妻というより、聡明できれいなお姉ちゃんという感じですね。




 天皇はたいそう定子を気に入り、かたときもそばを離れなかったほど頼りにしていました。

 勉強も見てもらったのです。




 政略結婚とはいえとても仲が良く、これは生涯続きました。




 彼女が17歳のときから始まった文学サロンは後に「定子サロン」 ともよばれ、清少納言も活躍して大繁盛しました。




 中学校の国語や高校の古文でおなじみの名作「枕草子」 はここで生まれることになるわけですね。



 しかし、身内の不幸が突然おこります。




 995年、父の藤原道隆が病死してしまいました。

 病名は糖尿病と考えられています。




 19歳の定子は大きな後ろ盾を失うことになります。

 次に実の兄、藤原伊周(これちか) とその弟隆家が流罪になりました。




 元天皇だった花山法王に矢を射かけたことをとがめられたものです。




 原因はある女性をめぐって奪い合うというトラブルで、兄たちは誤解で花山法王に腹を立てたのです。



 これはちょっと格好よくないですね。

 その上母も病死して、心の支えを次々に失うことになりました。




 たまたま、定子は兄たちが引き立てられていく姿を目の当たりにすることになったのです。

 その衝撃は強烈で、大きなショックと心労に見舞われることになりました。




 身内の不祥事に責任を痛感し、出家を決意します。




 一条天皇はそれを引きとめたり、わざわざ人目を忍んで会いに行ったり、出家した定子を宮中に呼び戻したりしました。




 この天皇の愛は、本物ではないでしょうか。

 しかし、さらに心労に追い打ちがかかります。




 チャンスとばかりに叔父の藤原道長が娘の彰子(しょうし) を入内させ、強引に一条天皇の中宮にさせたのです。




 もちろん、自分が権力を握るためですね。




 これまで中宮だった定子は皇后になりましたが、これは前例のないことです。

 後ろ盾がすべてなくなった彼女は、自分で自分を差別することになってしまったのでしょうか。




 犯罪者の妹でもあり、一度出家したことに対する周りの人々の冷たい目線にも悩まされました。

 そして、運命の1,000年、第3子を出産した翌日、定子はその短い生涯を閉じました。




 直接の死因は難産だったとか、出血多量とかいわれています。




 しかし、この早すぎる死には、定子の実家の度重なる不幸と強い心労が無関係なはずはないと僕は考えています。




 権力争いの犠牲者ですね。




 身内がどうであれ、一人一人の人間がもっと大切にされ尊重されていれば、定子はもう少し心身ともに健康な一生を送ることができたのではないでしょうか。
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