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12 道 鏡 (700~772)






~権力にこだわり僧の道から外れて左遷された奈良の法王~






 法王とは、仏教界の最高権力者です。

 女帝の称徳天皇の寵愛を一身に受け、太政大臣禅師という身分にも任命されました。




 自分だけでなく、弟や一族の者、弟子の僧も次々に出世して、一時的ではありますが朝廷で大きな権力を振るいました。




 最後は左遷されて寂しい一生を終えましたが、女帝の寵愛は並大抵のものではありませんでした。




 一人の僧である道鏡が、極端ともいえる寵愛を受けた背景にはいったい何があったのでしょうか。




 正確ではありませんが700年ごろ、道鏡は現在の大阪府八尾市で生まれました。





 一族は物部氏と関係があったようです。

 若いころに、法相宗の僧侶になりました。





 サンスクリット語と密教の秘法を修得し、医学や薬学にも精通していました。

 だから「看病禅師」 として宮中への出入りが許されるようになったのです。





 彼は呪験力(じゅげんりょく) というものを身につけていて、この中でも特に「宿曜秘法」(すくようひほう) とよばれる一種の星占いにあたるものが得意でした。





 ちょうどこのころ、ノイローゼぎみだったのが孝謙天皇ですね。

 彼女は皇位を淳仁天皇に譲り、両親も夫も子どももいない寂しさに打ち沈んでいたのです。





 心身ともに病気になっていました。

 そこで、看病禅師である道鏡の加持祈祷が大きな心のよりどころになったわけですね。





 自分を大切にしてくれる話し相手がほしかったのでしょうか。





 悩みを聞いてもらい、星占いで希望をもち、沈んだ気持ちが少しずつ解きほぐされていったので、孝謙上皇は道鏡に絶大なる信頼を置くようになっていきました。





 よく言われているのは、彼らは「男女の仲」 になっていたのではないかということです。

 独身の男女が密室で2人きりで、何度も会っているからです。





 さらに「続日本紀」 には2人のただならぬ関係を記述している部分があります。

 「日本霊異記」 には「同じ枕に交通し」 という表現があります。





 これらを根拠に、道鏡は密教仕込みの性の奥義で上皇を虜にした、併せて宗教的なマインドコントロールで愛人になったとも考えられるのです。





 彼女が称徳天皇として再び即位してからは、道鏡の権限もトントン拍子に強くなっていきました。




 欲望には際限がないのでしょうか、ついに769年、次のような主張をしました。





 「九州の宇佐八幡宮で神のお告げがありました。

  道鏡を天皇にせよとのことです」





 称徳天皇は、悩みながらも本気で考えました。



 しかし、これはやらせでしょう。





 宇佐八幡宮には道鏡の弟である浄人(きよひと) がいたからです。

 一般民衆は、このできごとをどう見たでしょうか。





 この主張を突っぱねたのは、和気清麻呂(わけのきよまろ) です。

 命令により実際に九州へ赴き、都へ戻って明確に否定しました。





 「次の帝は必ず皇族を立てよ。

  道に外れた者は早く追い払え」





 自分の意に反した内容だったので、称徳天皇は和気清麻呂を流罪にしました。

 これはヒステリーとしか思えませんね。





 あるいは、道鏡の心を自分につなぎとめるための演技だったのでしょうか。

 いずれにせよ、称徳天皇も道鏡も心労でくたくたになりました。





 その1年後、称徳天皇は孤独死しました。

 すかさず、道鏡は「皇位簒奪の罪」 で現在の栃木県へ左遷されました。





 弟の浄人も高知県へ配流になりました。

 道鏡が亡くなるのはその2年後ですが、残念なことにこの2年間の記録は残っていません。





 ただ、葬儀は「庶民の礼」 で執行されたことだけわかっています。



 権力を欲しすぎた男の末路ですね。




 もしかしたら、この2年間こそ道鏡にとって、シャカの教えに帰った充実した納得のいく人生だったかもしれません。
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