1 卑弥呼 ( ? ~ 248頃)






~神秘的な権力を守るため孤独に生きた邪馬台国の女王~






 謎だらけの人物です。




 邪馬台国の女王だったといいますが、そもそも邪馬台国が日本のどこにあったのかわかっていません。




 日本の歴史上の記録がないからですね。




 ただ、はっきりしていることは、中国の「魏志倭人伝」 という歴史書に具体的な記録があるということです。




 さらに、朝鮮半島にあった新羅(しらぎ) の「三国史記」 などにも登場しています。




 これらの複数の史書から、実在の国であり、実在の女王であったことはほぼまちがいないと考えられています。




 時は弥生時代の末期。




 「倭国の大乱」 があったとされています。

 ちょうど戦国時代のような状況にあったのではないでしょうか。




 中国の前漢の時代の歴史書によると、弥生時代前期の日本には100余りの小国がありました。

 これが末期になると、30余りの国に減っています。




 つまり、戦いに勝った国が、敗れた国を次々に併合していったのでしょう。

 邪馬台国は、このような中で生き残った国の一つだと考えられます。




 強い国の一つだったのですね。




 僕が知りたいのは、このような過酷な時代背景の中で、卑弥呼が一人の人間として、一人の女性としてどのような「生き方」 をしたかということです。




 長年にわたり女王として君臨し、人々から尊敬を集め支持されていたことは十分に考えられます。



 その反面、彼女の権力を脅かすものに恐れ、不安と心労から必死に逃れようとしていたのではないでしょうか。




 一般民衆の視点から彼女の生き方を考えると、極めて孤独な女王の姿が見えるような気がします。



 まず、対立関係にあった狗奴国(くなこく) との戦い。




 卑弥呼の宮殿は、武装した兵士に守らせていました。

 鬼道(きどう) という神がかり的な占いによって政治を行っていたようです。




 陶酔状態になって、神の声を伝えるというやり方です。

 自信があれば、武装した兵士に自分の住む宮殿を守らせたりはしないでしょう。




 自信がないからこそおびえ、万全の守りを敷いていたのではないでしょうか。

 次に、女王となってからは人前に姿を現さなくなりました。




 政治の意志は、神の意志として一人の弟を介して民衆に伝えられました。

 神秘的な権威・権力を保つための手段ですね。




 食事は一人の別の男性に運ばせ、1,000人もの女性の召使に身の回りの世話をさせました。

 権力の頂点にある卑弥呼には、対等に心を許して話せる相手はいたのでしょうか。




 夫も子どももいませんでした。

 宮殿の奥深くで、緊張と心労の毎日が続いていたのでしょう。




 さらに、魏王朝への朝貢です。




 239年、卑弥呼は魏へ使いを送り、「親魏倭王」 の称号と100枚の鏡、絹織物などを与えられました。




 当時の中国は三国時代とはいえ、日本の小国から見れば、とてつもない大国です。

 自分の力は中国の大国も認めているのだ、というお墨付きがほしかったわけですね。




 そうすれば、他の日本のライバルの国々に対して優位に立てるわけです。

 これも自分の身を守るための手段の一つです。




 あげくの果ては、「墓」 です。

 大きな墓を作らせただけでなく、100人もの奴隷を殉死させました。




 卑弥呼の心労は生存中だけでなく、死後にもあったと考えられます。

 常に上から目線で、民衆を差別的に見下し、権威・権力を保つためのあの手この手の手段。




 その一生は、権力の頂点にはあったものの、不安で孤独な一人の人間の姿が垣間見られます。




 最後は暗殺されたという説もありますが、現在のところその真偽は定かではありません。
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