FC2ブログ
第4集 権力と心労に揺れた人々「日本史編」






                     はじめに






 そもそも歴史とは何のためにあるのでしょうか。

 一言でいえば、現在および将来のためにあるのではないでしょうか。




 過去の数多くの事例から、現在および将来に生かしてこそ、歴史は価値あるものになると思います。



 そこには多くの成功例や失敗例があります。




 見方によっては有意義に生かすことができれば、悪用することもできるのです。

 この中で僕が特に重視したいことは「人間としてどう生きたか」 ということです。




 日本史上には数多くの人物が登場します。

 一人一人が、それぞれ自分の人生を精いっぱい生きています。




 大事業を成し遂げた有名人もいれば、あまりその名を知られていない人もいます。

 彼らは現在に生きる僕たちに、さまざまなことを教えてくれます。




 注意しなければならないことは、権力の頂点に立ったりお金持ちになったりした人々が、必ずしも人生の成功者とは限らないということです。




 「権威」 とは人を従わせる力であり、「権力」 とは人を強制する力です。

 だから、自分の思う通りになると思われがちですね。




 ところが、権威・権力を求め、また守ろうとしたために自滅したり、自分の大切な人が犠牲になって後悔する事例は後を絶たず、現在もたくさんあります。




 権力の頂点に立った人物の多くに見られる現象は、その権力を脅かす存在にびくびくし、たえずおびえているということです。




 強権を発揮したことで知られる江戸幕府の3代将軍徳川家光が、自殺未遂をしたことがあることをご存知でしょうか。




 意外と長生きもしていません。




 歴史の教科書ではほとんど触れられることはありませんが、権力を握ること、それはすなわち「心労」 の始まりでもあるのです。




 一見強そうに見える権力者たちの、外からはなかなか見えない「小心者」 という姿がここにあります。




 権力による支配のための道具として利用されてきたのが「差別」 です。




 差別され、支配された人々は、不自由で不自然な状態です。

 こんな状態がいつまでも続くはずがありません。




 早かれ遅かれ、何らかの形での反動は避けられないでしょう。

 自分の力を脅かす者を排除し、自分を守るために必死になり、いつも何かにおびえている。




 権力によって立つ者は、いつか権力によって滅ぼされるという事例があまりにもたくさんあるのには驚かされます。
 



 長い日本の歴史は「支配と差別の歴史」 である、といっても過言でないくらいです。




 差別したり差別されたりという経験は、人間なら誰にでもあると思います。

 日本史上の数多くの悲劇は、根本において人を見下す「差別心」 から発生しています。




 この差別心から解放された人は自由になり、納得のいく幸福な人生を歩んでいます。




 ところが解放されなかった人は、「心労」 に悩まされて痛い目に遭っているという例が後を絶ちません。




 僕がこのブログを書こうと思ったきっかけは、権力や不自由と差別心にとらわれている自分自身に、40年以上にわたって気づいていなかったという事実が根底にあるのです。




 歴史は役に立たなければいけないと思います。

 このブログに登場する人物は、ある意味では反面教師です。




 今回、僕は「人権史観」 の視点から、日本史上の80人の人物に着目してみました。 




 上から目線ではなかなか大切なことが見えないので、一般庶民の立場から、その生き方を検証してみました。




 日本史を見る視点を変えることで、自由で心豊かに生き、「差別意識から解放」 される人を一人でも増やすためにこのブログを書きます。




 これまでの自分の生き方の問題に自分で気づき、それを変えて、幸せになれる人が一人でも多く増えるように願っています。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://eichi862.blog.fc2.com/tb.php/209-43509bac