12 ダイアナ (1961年 ~ 1997年)





~外見と心の空洞に揺れたイギリスの皇太子妃~





 「宮殿で暮らせたら、どんなに素敵でしょう」

 少女らしい夢ですね。




 初めてイギリス王家の生活に接したときのダイアナの言葉です。

 当時彼女は17歳でした。




 この夢は早くも2年後に実現します。

 1981年、チャールズ皇太子と結婚し、翌年にはウィリアム王子を出産したからです。




 世界中から祝福され、来日したときも大きな話題になって、毎日のようにテレビや新聞をにぎわせました。




 特にダイアナの輝くような美貌と、選び抜かれた気品のあるファッションには国中の人々が熱中しました。




 誰もが皇太子は後の国王チャールズ3世に、皇太子妃のダイアナは、後の王妃ダイアナにと思ったことでしょう。




 しかし、期待と予想に反して、王妃は実現しませんでした。




 なぜでしょうか。




 1961年、ダイアナはイギリスの名門貴族の三女として生まれました。

 ところが彼女が6歳のとき、母親のフランシスが愛人を作って家出をしてしまったのです。




 子どもに責任はありませんね。




 この時点で、心の傷は極めて大きかったのではないでしょうか。

 愛に飢えた少女期を過ごし、拒食症などの心の病にも悩まされました。




 そんな中で、1975年、父親がスペンサー伯爵になったので、ダイアナも伯爵令嬢として、レディの称号を得ることになりました。




 姉夫婦とのつながりで、王室と接することができてからは、ダイアナはあらゆる手を使ってチャールズについてまわりました。




 事あるごとに自分の魅力をアピールし続けたのです。




 ヨットやウィンドサーフィン、水泳などで積極的に近づき、マスコミもうまく利用して自分を美化させたのです。




 努力の甲斐があったのでしょうか、1981年、チャールズが押し切られる形で結婚が成立しました。




 「ダイアナ皇太子妃」 の誕生です。




 このとき彼女は19歳でした。

 しかし、この日を境にダイアナの地獄のような日々が始まりました。




 「自分が愛した女性はカミラだけだった。

 ダイアナに対して愛情を感じたことは一度もない」




 チャールズ皇太子のこの一言に、彼らの結婚生活が凝縮されていますね。

 もしかしたら、ダイアナの野心を見抜いていたのかも知れません。




 チャールズには、すでにカミラという愛人がいたのでした。

 結婚後もチャールズは、妻を一人残してカミラのもとへ通い続けました。




 ダイアナとの結婚は「形」 だけだったのです。

 その寂しさは、僕たちの想像を絶するものだったのではないでしょうか。




 ヒステリーをおこし、過食症と重いうつ病になりました。

 自殺未遂も何回も繰り返しました。




 ダイアナも、その心労と寂しさを紛らわせるために、次々と別の男性に手を出します。

 王室警護係や乗馬のコーチ、アラブ人の男性など他にも数々の名前が出てきました。




 さらに、ボランティア活動や地雷撤去運動にも熱中しました。




 しかし、これらの望ましい活動ですら、結婚生活がうまくいかないことから生ずる「あがき」 のように見えるのは僕だけでしょうか。




 やがて、別居、離婚を経て、1997年、ダイアナはついにパリで事故死します。




 フリーカメラマン集団パパラッツィの追跡を振り切ろうと、時速196キロで暴走し、恋人のイスラム教徒ドディとともに死亡したのでした。




 自殺説や他殺説などもありますが、真相は歴史の闇の中です。




 「ドディを愛している。

 これまでこんな幸せを感じたことはないわ」




 死の10日前、ダイアナが親友に打ち明けた言葉です。




 華やかな宮廷生活にあこがれ、王室の権威を手にした美しい少女。




 しかし、待っていたのは「心の空洞」 でした。




 彼女が差別心から解放されるのがもう少し早ければ、本当の幸せをつかむことができたのではないでしょうか。
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