7 ルーズベルト (1882年 ~ 1945年)





~仮面夫婦生活で神経をすり減らしたアメリカの大統領~





 「フランクリン・ルーズベルトは自分の妻に殺された」

 と言えば、言いすぎでしょうか。




 もっとも、その原因は「自らがつくりだした」 ともいえると思います。




 世界恐慌を乗り越え、アメリカ大統領としては異例の4選を果たすなど、多くの国民から絶大なる支持を受けた優れた大統領です。




 ところが戦勝国でありながら、彼が死んだ1945年という年は、敗戦国のムッソリーニやヒトラーと同じ年なのです。




 いったい、ルーズベルトに何が起こったのでしょうか。




 ニューヨークの名家に生まれた彼は、28歳の若さで早くも上院議員に当選しました。




 政治家として順調に頭角を現し、途中で小児麻痺で苦しんだこともありましやが、1928年にはニューヨーク知事、32年には大統領に当選しました。




 「炉辺談話」 と名付けられたラジオ放送でウィットあふれる政策説明をして、アメリカ国民の政治への信頼を確立していきました。




 中学校や高校の教科書にも載っている「ニューディール政策」 は特に有名ですね。




 大胆な公共事業を起こすなどして、世界恐慌から立ち直ることに成功したのです。




 多くの失業者が雇用され、銀行の信用を回復するための「緊急銀行救済法」 を制定したり、評判の悪かった「禁酒法」 を廃止したりもしました。




 これらの彼の政策は、たくさんの国民から支持され、現在でも世界史上のすぐれたリーダーの一人として語り継がれています。




 しかし、このルーズベルトにも大きな落とし穴があったのです。




 それは女性問題です。




 彼は、ルーシーという名の女性秘書と不倫をしてしまいました。

 この事実を知った妻エリノアが黙っているはずはありませんね。




 「冗談じゃないわ」

 と思うのは当然のことでしょう。




 すったもんだの家庭内戦争は必至です。

 一時は離婚も考えました。




 間に入ったのは姑で、ルーズベルトの政治生命を危ぶんだので、「家庭内別居」 という「休戦協定」 で妥協させられたのでした。




 それからというもの、妻エリノアは夫の身の回りの世話を一切しなくなりました。




 夫婦生活は完全に破たんしてしまいました。

 15年もの長きにわたる「仮面夫婦」 が延々と続いたのです。




 いくら夫が国民に人気のある大統領でも、妻としてはプライドをズタズタに傷つけられ、このままではおさまらないと思ったのでしょう。




 妻は「復讐」 を開始したのでした。

 ルーズベルトの仕事は誰が考えても激務です。




 仕事から帰れば、たとえ束の間でも家庭でゆっくりとくつろぎたいところでしょう。

 しかし、妻エリノアはわざと議論をしかけていったのです。




 これでは休む暇もなくなり、夫ルーズベルトはさらにヘトヘトに疲れてしまいました。

 これを繰り返すことが、妻の復讐だったのです。




 自分が播いた種とはいえ、夫の心労は相当なものだったでしょう。

 それでも、大統領という社会的地位、権力が大切だったのでしょうか。




 極めつけは、彼の死期が近づいたときです。

 唇に皮膚や粘膜が青紫色になるチアノーゼが出るほどの重体になったときでした。




 妻は書類を夫の枕元に突き付けたのです。

 ここに及んでも議論、説教を行い、徹底的に追い詰めようとしました。




 これでは病気が悪化する一方ですね。




 結局、亡くなるまでの2年間、ルーズベルトに寄り添い、みとったのは妻ではなく、愛人のルーシーでした。




 彼らの娘が二人を会わせたのです。

 この娘の一言がまた強烈です。




 怒りに震える母エリノアに対して、こう言い放ちました。




 「お父さんに安らぎをあげたかっただけよ」




 どんなに立派な仕事をして有名になっても、自分の足元に火がついてしまったら元も子もないという典型的な例です。




 家庭の大切さとは何か、改めて考えさせられるできごとですね。
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