6 ヒトラー (1889年 ~ 1945年)





~数々の心労から自殺に追い込まれたドイツの独裁者~





 「ああ、やっぱり・・・」

 ある新聞記事を見たときの僕の率直な感想です。




 そこには、ヒトラーの生前の行動を知る、95歳のある女性の生々しい証言が記載されていました。



 世界を震撼させた、独裁者ヒトラー。



 しかし、その強大な権力の裏には、数々の強烈な心労が見え隠れします。




 ナチスの強力な軍事力を背景に、一見、とてつもなく強そうに見えますが、心の中では暗殺者におびえ、常にビクビクしていたことが証明される記事内容でした。




 なぜでしょうか。




 1889年、ヒトラーはドイツ国境に近い、当時のオーストリア・ハンガリー帝国のブラウナウ地方で生まれました。




 彼は、少年時代から波乱に富んでいます。




 学校は留年や中退を繰り返し、画家をめざして受験したウィーン美術アカデミーにも連続不合格。



 住所不定の浮浪者として、警察に補導されたこともありました。




 しかたなく、水彩の絵葉書売りなどをしてようやく生計を立てていました。

 オーストリア軍への兵役を嫌って、国外に逃亡したりもしたのです。




 ヒトラーが世に出るきっかけになったのは、1920年のナチス入党です。

 途端にめきめき頭角を現して、1934年には総統になり、独裁権を手にしました。




 演説の天才であったとともに、その実行力も抜群でした。




 アウトバーンとよばれる高速道路は3,000キロメートルにもおよび、世界最大の失業者救済事業とも言われています。




 40万人の雇用を確保し、有事の際には飛行機の発着も可能でした。

 しかし、その一方で強烈な民族差別政策も断行したのです。




 第二次世界大戦の中で、ヒトラーはユダヤ民族の人々を容赦なく毒ガスで殺しました。

 アウシュビッツなどの強制収容所に連行し、その犠牲者は600万人とも言われています。




 ここで気をつけなければならないことは、ユダヤ人への民族差別は、ヒトラーとナチスだけがやっていたことではないということです。




 ドイツだけでなく、ヨーロッパの多くにこの風潮がありました。

 もっと言ってしまえば、ヒトラーの民族差別は多くのヨーロッパが生んだものなのです。




 さて、冒頭の新聞記事です。

 ある新聞とは、2013年5月14日発行の毎日新聞でした。




 ある女性とは、ベルリン在住のマルゴット・ウェルクさんという方です。

 写真つきのこの記事によると、彼女はヒトラーの十数人の毒味役の一人を務めたというのです。




 ヒトラーは菜食主義者で、アスパラガスやニンジンの料理が多く、肉はなかったそうです。




 サラダの葉一枚すら警戒し、毒が効く時間も考慮し、いつも毒味から45分以上たってヒトラーは料理に手をつけていました。




 これでは食べた気がしませんね。

 毎日の食事一つも心労の種だったのです。




 ウェルクさん自身も、毒味をするたびに自分が毒で死ぬ恐怖におびえていました。




 彼女が半世紀以上にわたって、この事実に対して沈黙を通してきたのは、「ナチスに協力した」 という非難を恐れたからです。




 さらに、ドイツ降伏後にソ連兵から暴行を受けたこともあり、自らの体験を語ることはかたくなに避けてきたのです。




 21世紀になって偶然ですが、ベルリンの新聞記者から、長寿を祝う趣旨の取材を受けたことを機に過去を語る決心をしました。




 ヒトラーの心労はまだあります。




 姪のゲリ・ラバウルとの不適切な男女関係と彼女の自殺、数年の獄中生活、そして同盟者ムッソリーニの銃殺と、大衆の前での遺体の吊るしあげです。




 ヒトラーは独裁者ムッソリーニの悲惨な最期を知っていたからこそ、自ら先に命を絶ち、自分の自殺後は「ガソリンで燃やせ」 と部下に命じていたのです。




 彼の生き方は、権力を握っても自由にはなれないこと、多くの心労との闘いが待っているということを学べるのではないでしょうか。
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