5 ムッソリーニ (1883年 ~ 1945年)






~臆病で暗殺者におびえ続けたイタリアの独裁者~






「血のみが歴史を前進させる」

 恐ろしい言葉ですね。




 イタリアの独裁者、ムッソリーニの言葉として、世界に知られています。




 第一次世界大戦を機に愛国主義に傾倒し、社会主義とナショナリズムを混ぜ合わせた独自の思想「ファシズム」 を提唱した人物です。




 ファシスト党を率い、1922年の「ローマ進軍」 で政権を奪取して、強力な独裁を行いました。



 同時に、それまで失業者あふれる農業国だったイタリアは、めざましい工業国に発展したのです。



 しかし、一見こんなにも強そうに見える彼は、意外にも「小心者」 だったことをご存知でしょうか。



 1883年、ムッソリーニはイタリア北部、フィレンツェの北東にあるフォルリ近郊の小村に生まれました。




 学校時代は学業成績優秀でしたが、学費の大小によって生徒の待遇が異なることに、大きな不満を感じていました。




 教師に石を投げつけ、喧嘩相手をナイフで刺し、ミサを妨害するなどの暴力事件を起こしたため、5年生のときに退学になってしまったのです。




 このキレやすい性格の裏には、小心者という、教科書には触れられていない事実があるのです。

 国のトップに躍り出て独裁者になってからは、開いた雨傘を極端に嫌いました。




 それは、暗殺者におびえていたからです。




 どういうことかと言うと、傘の陰から暗殺者に狙われはしないかと、常にビクビクしていたのです。



 これでは、雨の日などの外出が困難になってしまいますね。




 命の危険があると感じた時には、治療の守護神・聖アントニウスの小像をポケットにしのばせて外出していました。




 国の最強の権力を握りながら、これではかえって不自由ですね。

 ムッソリーニはかなりの教養人で、語学にも堪能、スポーツ万能で多くの女性にもてました。




 また、彼自身も好色で、数々の女性に手を出しています。

 ただし、香水が大嫌いで、アレルギー症だったのです。




 香水の香りや、エーテルの匂いをかぐと、失神してしまいました。

 だから、女性を選ぶときの第一条件は、何と「香水をつけていないこと 」でした。




 多くの男性が香水の魅力的な香りに引き寄せられていく中で、これも珍しいことですね。

 戦場でも倒した相手の死体を見ると、嘔吐してしまうほどでした。




 何か気の毒なほど、匂いに敏感だったのですね。

 とても神経質で、強心臓とはいえなかったことがよくわかります。




 1936年、イタリアはエチオピアを侵略し、39年にはアルバニアを併合しました。




 背景に世界恐慌の苦しみがあることは明白ですが、それにしても現地の国民の立場に立てば、人権侵害以外の何物でもないでしょう。




 ドイツのヒトラーとも協力し、ベルリン=ローマ枢軸が締結されています。




 1940年には、日独伊三国軍事同盟が結ばれ、第二次世界大戦へ向けてまっしぐらに進んだこと、そして敗戦につながったことは世界中でよく知られていますね。




 1943年、米英軍がイタリアのシチリア島を占領すると、国内でクーデターが起こり、ムッソリーニは国王と側近たちに軟禁されました。




 ヒトラーにより救出され、一時的にイタリア北部にイタリア社会共和国を建国したのです。




 しかし1945年、家族を亡命させていたスペインへ出国を試みる途中に、ガルバルディ自由旅団に拘束されてしまいました。




 最後は共産党により銃殺され、その死体はミラノで吊るされ辱められたのです。




 哀れな末路ですね。




 権力を目指し、力で権力を獲得して国中を動かしましたが、心は解放されませんでした。

 彼が最も恐れていた死に方になってしまったのではないでしょうか。




 「剣によって立つ者は、剣によって滅びる」




 このことを具体的に学べる、典型的なできごとだと僕は考えています。
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