11 トルストイ (1828年 ~ 1910年)





~妻との不和から家出先で死亡したロシアの文豪~





 「自由になりたい・・・」

 これが、世界的な大作家、文豪トルストイの本音ではないでしょうか。




 裏を返せば、彼は自由でなかった、自由に生きることができなかったということになりますね。




 地位も富も名声も手にし、家庭的には13人の子どもに恵まれ、誰からもうらやましがられるような人生を送ったであろうと考えられがちです。




 しかし、彼の最期は家出をし、その家出先の駅で野垂れ死に同然の死に方をしています。




 これはいったいなぜなのでしょうか。




 1828年、トルストイはロシアのモスクワ南方の地主の家に生まれました。

 母方のヴォルコンスキー公爵家は、当時最高位の大貴族でした。




 母方の祖父は、あのロシア帝国の大女帝、エカチェリーナ2世の軍隊の最高司令官を務めたほどです。



 トルストイは莫大な広さの土地と230人もの農奴を相続する大富豪で、伯爵の地位も後に得る極めて豊かな環境にありました。




 つまり、ご主人様ですね。




 僕たち一般庶民とはかなりかけ離れた生活が、最初からあったと考えられます。




 作家としても大成し、「戦争と平和」 や「アンナ・カレーニナ」 などの名作を次々に生み出し、文豪としての名声も広く世界に知れわたるようになりました。




 結婚はやや遅く、34歳のときでした。

 お相手はソフィア・ベルスという18歳の若妻でした。




 医者の娘で、彼女もまた恵まれた環境で育ちました。





 この結婚により、大貴族の夫人として、大勢の召使いにかしずかれて暮らすことができたのです。




 さらに大文豪の妻として、一種のファーストレディ的な存在でもあったのでしょう。

 何不自由のない幸せな夫婦と思われても、不思議はありませんね。




 ところが、転機は突然訪れます。

 トルストイ54歳のときです。




 彼はスラム街で生活する人々の悲惨な姿を目の当たりにして、強い衝撃を受けたのでした。



 「世の中の格差はひどすぎる」




 彼が貧民街の貧しい人々の暮らしを知らなかったといえばそれまでですが、このときから彼の差別意識が解放されかけたのかも知れません。




 自分自身の生き方を、大きく変えようとします。

 自分の広大な領地は農民に与え、自給自足の生活をしようと決意します。




 著作権まで手放そうとしました。

 収入の道が閉ざされ、これまでのような物質的な豊かな生活はなくなります。




 これを聞いた妻のソフィアは、猛反対です。

 約30年にわたる、夫婦の泥沼の闘いが始まりました。




 ソフィアはヒステリー症状をおこしたり、「自殺する!」 と言って騒ぎ立てたりもしました。

 


 トルストイの主張です。

 「寝室を別にして兄妹のように暮らそう」 




 ソフィアは激しく抗議しました。

 「それは妻としての私の立場への侮辱です」 




 妻の気持ちはよくわかりますが、それにしても30年も時間があって、何とかならなかったのでしょうか。




 ソフィアも何かに執拗にこだわり、心が解放されていなかったとも考えられますね。




 こうしてトルストイは断言するようになったのです。




 「私の結婚は人生最大の不幸」 


 互いに束縛された人生だったのでしょうか。




 1910年、ついに家出を決行します。




 「最後の日々を一人静かに過ごすために世界を捨てる」 




 彼の書き置きです。人目を避けてひっそりと家を出ました。




 二等車、三等車という「庶民の」 列車の車両に乗りましたが、わずか4日後に汽車の中で発熱して倒れました。




 リャザン・ウラル鉄道のアスターボヴォ駅の駅長室で亡くなりました。




 亡くなる直前にソフィアが「特別列車」 で会いに来ましたが、トルストイは面会を拒否しました。




 最後まで心労です。




 解放されなかった夫婦の末路ですね。




 考え方一つで、もっと幸福に生きることができたのではないでしょうか。
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