4 クリスティーナ女王 (1626年~1689年)




~王位を放棄して自由に生きたスウェーデンの才女~




 日本でいえば江戸時代前期。

 ちょうど鎖国で有名な3代将軍徳川家光と次の家綱の時代にあたります。



 クリスティーナは当時の日本では考えられないスウェーデンの才女です。



 彼女は幼くしてドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語を話すことができ、10歳のときにはラテン語も話せるようになっていました。



 父親はスウェーデン国王グスタフ・アドルフです。



 またクリスティーナは、自由奔放に生きた女性としても知られています。


 当時はまだ男性への従属を意味していた結婚を、自分の意志ではねつけました。



 つまり女性差別に負けなかったのですね。



 プロテスタントを国教としているスウェーデンの女王が王位を投げ出して、国教の敵であるカトリックに改宗するなど、自分に正直に自由に生きました。



 女性が意志をもって生きることのすばらしさを実践した、傑出した人物だと僕は思います。



 父親のグスタフ・アドルフは、王位の継承者となるべきクリスティーナに、厳しい教育を施していました。

 宰相(さいしょう)に、娘を 「王子」 同様に教育するよう命じていたのでした。



 学問についても早熟で、わずか12~13歳で複雑な政治問題を論ずることができるようになっていました。



 しかし彼女が6歳のとき、グスタフ・アドルフは戦死してしまったのです。

 女王になって最初は5人の摂政が政治を代行し、18歳になると親政を開始しました。



 クリスティーナ女王は、会議に臨んでは議事を見事にさばき、三十年戦争も講和に持ち込み、戦争を終結させました。

 学術振興にも努め、哲学者のデカルトをはじめ、ヨーロッパの著名な学者をストックホルムに招いています。



 しかし、彼女が本当にあこがれたのは南国文化であり、住みたかったところは、イタリアの古典文明の地ローマでした。

 このままスウェーデンにいては女王という肩書にほんろうされ、不自由でストレスの多い一生になることは明らかでした。



 事実、結婚問題一つをとってみてもそうです。



 クリスティーナが6歳の時から政略結婚の申し込みが数多くあり、まわりも 「結婚を強制 」しようとする動きすらありました。



 これに簡単に応じれば結婚相手に服従することになり、自分の良心に従って生きることはできないことを見抜いていたのです。



  「王位をすてる」



  これが彼女の出した結論でした。



 1654年、クリスティーナ女王は位を従兄のカール・グスタフに譲り、あこがれの地ローマに向かいました。



 それこそヨーロッパ中の驚きと激昂 (げっこう) と関心の中、わずかの供まわりの者を従えて、男装に身をつつみ、まるで逃亡者のようにスウェーデンを脱出したのでした。



 彼女の後半生はローマで全うしています。

 新居をかまえ、詩人、芸術家、学者と接しながら喧嘩(けんか)と奇行の 「女王」 で通したのです。



 確かにスウェーデンの国政の側からいえば、君主の風上にも置けないということになるのでしょう。


 しかし、僕はクリスティーナの生き方に共感できるものがあると考えています。



 肩書と地位、お金と名誉にとらわれて本当の自分を見失ってしまう。


 読者の皆さんのまわりにそんな人はいませんか。



 もしかしたらあなたがそうなのかもしれません。

 また、僕自身もそうだった時期がありました。



 クリスティーナは自分が自分らしく生きるということを、勇気をもって実行した人だと思います。



 女性差別を乗り越えて、人間としての自由を獲得し、納得のいく人生を全うしました。



 とても考えさせられる世界史上の痛快な女性ですね。
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