5 リンカーン (1809年 ~ 1865年)






~心労から奴隷解放を戦略の道具にしたアメリカの大統領~






 「人民の人民による人民のための政治」

 リンカーンの有名な、ゲティスバーグの演説の中の言葉ですね。




 民主主義の政治を誠実に実行し、奴隷解放宣言を行い、南北戦争を終結させた偉大な大統領として長い間語り継がれてきました。




 アメリカ歴代の大統領の中でも、特に人気があった人物です。




 僕も人権感覚に優れた大統領という人物像を抱いていましたが、近年、多くの研究者によって必ずしもそうとは言い切れないことがわかってきました。





 なぜでしょうか。





 1809年、リンカーンはケンタッキー州の粗末な丸太小屋で生まれました。

 開拓者の移動生活が多く、学校にはわずか1年しか行っていません。




 彼は努力家で弁護士になりましたが、演説は非常に得意です。

 子どものころからよく切り株の上に立って演説の練習をしていました。




 つまり、弁護士になる前に、すでに政治家を目指していたのです。

 政治家と言えば、最終目標は権威・権力がある大統領ですね。




 なかなかの野心家だったということが指摘されています。

 有名なゲティスバーグの演説も実は彼が最初に考えた言葉ではありません。




 引用だったのです。




 1850年、すでに牧師のセオドア・パーカーが次のような演説を行っていました。

 「民主政体、すなわち、すべての人民の、すべての人民による、すべての人民のための政体」




 そっくりですね。




 リンカーンの演説は1863年です。

 13年もの開きがあり、この有名な言葉は、南北戦争が始まる前からあったことは明白です。




 1863年、南北戦争のさなかに、リンカーンは「奴隷解放宣言」 を発表します。

 これは南部諸州の奴隷解放を宣言したもので、ケンタッキーなど四州には適用されていません。




 おまけに南部諸州は南軍の支配下にあり、この宣言自体、実効がないといえます。

 南部には300万人の奴隷がいました。




 彼らを決起させれば、南軍は膝元に火がつくことになるわけです。

 この宣言は、南部の軍事力を弱め、北部有利に戦争を進めるための道具だったのです。




 リンカーンが、奴隷廃止を主張する人にあてた手紙が残っています。

 「この戦争における私の至上目的は、連邦を救うことにあります。




 奴隷制度を救うことにも、滅ぼすことにもありません。

 もし、奴隷を一人も自由にせずに連邦を救うことができるならば、私はそうするでしょう」




 これが本音ですね。




 彼は奴隷を異国に追放し、黒人たちはそこで自分たちの国をつくればよいと考えていました。




 白人と黒人を平等に見ていたわけではなく、白人と黒人の結婚を認める法律も、ついに最後まで通しませんでした。





 もうおわかりでしょう。





 リンカーンは、明らかに黒人差別をしていますね。

 南北戦争で、アメリカ合衆国が二つに分裂するのを防ぐことが最優先なのはわかります。




 しかしこうなると、大統領として自分が君臨している「広大な国土」 が、半分になるのを防ぐことだけが大切だったのではないか、とも思えてきますね。




 アメリカの奴隷制度が全面廃止されたのは、1865年です。

 しかし、このときすでにリンカーンは、暗殺により死亡していたのでした。




 彼の死の4日前に撮られた写真が残っています。

 その写真を見た人の感想です。




 「まるで70歳に近い老人のようだ。

 とても54歳とは思えない」




 リンカーンはこの戦争で心身をすり減らし、ボロボロになっていたのですね。

 強烈な心労が、彼の心身を蝕んでいたことが考えられます。





 もしかしたら、暗殺されていなくてもそう長くは生きられなかったのかも知れません。





 大統領という権威ある地位に、終始しがみついた男の悲しい末路を感じるのは僕だけでしょうか。
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