3 アルバート公 (1819年 ~ 1861年)






~優等生として私生活の心労に揺れたイギリス女王の夫~






 イギリス女王とは、世界史上有名なヴィクトリア女王です。




 イギリスが空前の繁栄をしたときの、まじめな優等生の女王というイメージが広く定着しているのではないでしょうか。



 アルバート公は、このヴィクトリア女王の母方の同い年の従弟にあたります。




 即位3年目の若くて美しい女王の一目ぼれにより、女王の夫として、結婚したお婿さんになります。



 9人の子どもに恵まれ、幸せそうな家族像は、イギリス国民にとって理想の家庭、理想の夫婦に見えたようです。




 しかし、アルバート公はわずか42歳の若さで亡くなっています。


 この聡明、謹厳でハンサムな夫の身に、いったい何があったのでしょうか。





 まず、彼はイギリス人ではありません。

 ドイツ人です。





 妻には好かれていても、イギリス上流階級の人々には外国人嫌いが多く、アルバート公は結婚当初からうとんじられていました。





 イギリス政界にも、以前からドイツへの不信感があり、この結婚はあまり歓迎されていません。





 彼に「プリンス・コンソート」 (女王の夫君) の称号が与えられたのは、何と結婚から17年も後の1857年になってからのことでした。





 これは失礼ですね。

 どこの国の出身であるかということが問題視されています。





 外国人差別が表面化した出来事ではないでしょうか。





 それでも異国の「針のむしろ」 のような環境の中で、彼は誠心誠意努力したのではないかと思います。




 妻のヴィクトリア女王を励まし、助言を与え、政治にも積極的に参加しました。

 1851年の第1回ロンドン万国博覧会の企画・立案の最大の立役者はアルバート公です。





 彼は政界の長老ウェリントン公に、次のように語っています。

「私は女王の夫で、王室の子どもたちの家庭教師で、君主の個人秘書で、終身の大臣です」





 彼のまじめな人柄がにじみ出ていますね。




 しかし、公務多忙な夫に不満を感じたのでしょうか、研究者によってヴィクトリア女王の不倫疑惑が発覚しています。




 相手は、スコットランドの若い20歳の猟番ジョン・ブラウンです。




 1979年のAP通信の記事によると、ヴィクトリア女王とブラウンは「秘密結婚」 をしていて、アルバート公の死後には、ブラウンとの子どもまでできていたということが指摘されました。





 記事はその証拠として、スコットランド美術館長の証言を紹介しています。

 夫のアルバート公が、この妻の不倫を知らないはずはないでしょう。





 むしろ、知っていても 「知らないことにしておかなければならない立場」 にあったと考えるのが自然ではないでしょうか。





 本音が大きく制限される強いストレス・心労が、彼をくたくたに疲弊させたと考えられますね。


 さらに、追い打ちがかかります。





 末っ子のヴィクター王子は素行不良で、問題児として知られていましたが、遊び仲間と売春宿にしけこんで少年を買っていました。





 長男のエドワード王子(後のエドワード7世) の側近中の側近であるアーサー卿も、同性愛にずっぽりとはまり、エドワード王子がもみ消し工作に奔走したのです。





 現在は同性愛に対する理解が進みつつある時代になりましたが、当時のイギリスでは厳禁。

 側近のアーサー卿は、逮捕直前にフランスへ逃亡しました。





 イギリス王室は、この事実を100年以上にわたって隠し続けました。

 極めつけは、エドワード王子です。





 デンマーク王室との縁組が進むさなか、ある女優とスキャンダルをおこしました。





 父親であるアルバート公は、自分が病身でもあるにもかかわらず、皇太子を説得に走り、腸チフスが悪化しました。





 そして、まもなく亡くなったのです。





 世間体よりももっと自由に、もっと本音で人間らしく生きたかったという彼の声が聞こえてきそうですね。





 「本当の幸福な家族とは何か」





 改めて考えさせられる、歴史上の出来事ですね。
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