7 ジョージ1世 (1660年 ~ 1727年)





~国民と家族から見放され発狂したイギリス国王~





 日本でいえば、江戸時代の中ごろにあたります。



 当時のイギリスは、イングランドとスコットランドが合同して、大ブリテン王国が成立していました。




 世界最強の軍事力をもち、政治や経済的にも安定して、世界の中心的な国家になっていました。


 この輝かしい時代に、イギリス国王として君臨したのがジョージ1世です。




 しかし、彼は国民から愛されず、妻子からも嫌われ、あげくの果てに恐怖から発狂して死亡する不幸な人生を送りました。





 なぜでしょうか。





 まず、彼はイギリス人ではありません。

 英語が話せないドイツ人で、ハノーバー選帝侯という貴族でした。




 結婚前から愛人をもっていました。

 1688年、ジョージが28歳のとき、美女と評判の高いゾフィー・ドロテアと結婚しました。




 しかし彼は、自分の容姿にコンプレックスをもっていました。

 だから美人が苦手で、不美人と噂される愛妾が2人いたのです。




 ゾフィーとの間には一男一女を設けましたが、基本的に妻を嫌って相手にしませんでした。

 そんな中で、妻ゾフィーは不倫に走ります。




 相手はスウェーデン貴族、ケニヒスマルク伯爵でした。




 この事実を知ったジョージは、ケニヒスマルク伯爵の抹殺を命令し、妻は自分の故郷、ドイツのハノーバーにあるアールデン城に幽閉したのでした。




 この監禁は妻ゾフィーが亡くなるまで、延々と32年間も続いたのです。




 自分は愛人を2人もっていながら、この仕打ちでは誰が考えても納得できるものではないでしょう。




 女性差別とも考えられますね。




 1714年、どういうわけか、彼は54歳でイギリス国王に即位します。

 ジョージ1世の誕生です。




 その戴冠式、ロンドン市民は異例な様子を噂し合います。

 王妃の出席がないからです。




 王妃のゾフィーはイギリスにいるどころか、ドイツのハノーバーに監禁されたままだったのですね。



 ところで、なぜジョージ1世がイギリス国王になったのでしょうか。




 それは、このときイギリスの前女王アンがなくなり、スチュアート朝が絶えてしまっていたからです。




 イギリス議会は彼に白羽の矢を立てます。


 理由は、彼の母がイギリス王ジェームス1世の孫だったからです。




 そして、ジョージ1世は英語を話せないので、イギリスの政治に口出しできないというわけですね。




 つまり、ジョージ1世はイギリス議会の都合で国王にさせられたということなのです。

 彼がイギリスの政治に興味を持たなかったのもうなずけますね。




 彼に始まる王朝はハノーバー朝と呼ばれ、現在の王室ウィンザー朝の直接の祖先にあたります。




 息子のジョージ(後のジョージ2世) は、母が長い年月にわたって幽閉されたことを恨み続け、父の死に至るまで、徹底的に父に反抗しました。




 父のジョージ1世は、イギリスの長い歴史の中でも、最も国民から人気がなかった国王と言われました。



 陰気な醜い男で、イギリスの実情を知ろうともせず、政治は首相ウォルポールに任せっきり。




 ロンドンにはあまりよりつかず、故郷のハノーバーで遊んでばかりいるので、全く働かないという評判になってしまいました。




 1727年、運命の年がやってきます。




 ハノーバーを訪問して帰国する途中のジョージ1世の馬車に、一通の手紙が投げ込まれました。


 それは、アールデン城で32年間監禁されて亡くなった妻ゾフィーの遺書だったのです。




 これを読んだ彼は、恐怖のあまり心臓発作を起こして倒れ、その後正気を取り戻すことなく、7か月後に亡くなりました。





 その心労は、僕たちの想像を絶するものだったのではないでしょうか。





 敵ばかりですね。





 権力と差別意識から解放されていれば、もっと明るく健康的な生活を送ることが可能だったと考えるのは僕だけでしょうか。
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