5 モンテスパン侯妃 (1641年 ~ 1707年)


 


~国王から見放され修道院で孤独死したフランス寵姫~





 国王とは、太陽王として世界的に有名なルイ14世です。

 その第一寵姫として権力をほしいままにしたのが、モンテスパン侯妃です。




 当時のフランスは絶対王政の黄金時代で、ヨーロッパ随一の強国とされていました。

 ルイ14世は「朕は国家なり」 と宣言して、絶大な権勢を誇っていたのです。




 第一寵姫は輝く金髪に青い瞳の豊満な美女で、透き通るような白い肌をしていました。

 快活で才気があり、優れた話術と機知、ユーモアもある魅力的な人物です。




 しかし、最期は身も凍るような孤独と不安の中で幕を閉じました。

 いったい、彼女の身に何があったのでしょうか。




 モンテスパン侯妃は、本名をフランソワーズ・アテナイスといいます。

 フランスの名門貴族、モルトゥマール公爵の娘として生まれました。




 1660年に、王妃マリー・テレーズの侍女になっています。

 3年後にはモンテスパン公爵と結婚し、二人の子どもにも恵まれました。




 しかし、野心家で権力欲旺盛なフランソワーズは、これだけでは満足しませんでした。




 以前から国王の寵姫になりたいと、虎視眈々(こしたんたん) とチャンスをねらっていたのです。




 1666年、そのチャンスは訪れました。

 ルイ14世の母アンヌの追悼ミサで、フランソワーズは国王と知り合うことができたのです。




 このとき夫のモンテスパン侯は、遠隔地のルーシオンというところに駐屯していたのでした。

 フランソワーズは、夫と離婚して国王の寵姫になります。




 他の寵姫などのライバルを次々に押しのけて、ついに念願の第一寵姫になったのです。




 夫のモンテスパン侯はこれを認めず、フランソワーズに暴力を振るったりしましたが、彼女はルイ14世の力で強引にモンテスパン侯との離婚を成立させました。




 権力への執念ですね。




 こうして念願のファーストレディとして華やかな宮殿で夢のような暮らしができたのでしょうか、国王との間にも7人の子どもたちに恵まれたのでした。




 しかし、宮殿内では不気味な毒殺事件が相次いで起こるようにもなりました。

 事態を重く見たルイ14世は、非公開の「火刑法廷」 を設置したのです。




 裁判を通じて明らかにされたのは、魔女とされるラ・ヴォワザン一味が行った「黒ミサ」 の儀式でした。




 黒ミサというのは、生きた赤ん坊を生贄(いけにえ) として捧げ、その血をワインとともに飲み干すことで願いをかなえるという儀式です。




 フランソワーズはこれに参加し、口を真っ赤に染めて、殺した赤ん坊の血を飲み、性器に魔術師のキスを受けていたのです。




 国王の愛を独占するため、自分以外のライバルの寵姫たちの追い落としをひたすら願ったといいます。




 またしても権力への執念がなせる業ですね。


 驚いたのはルイ14世です。





 しかし、彼にはフランソワーズに産ませた7人の子どもがいます。

 頭を痛めて悩んだ末、事件をうやむやにしました。





 そして、彼女をそれまでの部屋から遠く離れた一室に移動させ、公式の場でも、フランソワーズに一声もかけることがなくなりました。





 その後、宗教に救いを求めたフランソワーズは修道院に入ることになったのでした。

 それでも、なかなか俗世界を忘れることができず、いつも死の恐怖におびえていました。





 闇を恐れ、部屋に何本ものろうそくを灯したまま眠り、夜中に目をさましたとき一人ぼっちにならないために、数人の修道女にそばについていてもらいました。





 このような強烈な心労の中、1707年、フランソワーズは67歳で亡くなりました。




 悲しき末路ですね。




 人を見下す差別心から解放されていれば、もっと違った晩年を過ごすことができたのではないでしょうか。
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