4 スレイマン2世 (1642年 ~ 1691年)





~長い監禁生活の犠牲になったオスマン帝国のスルタン~





 「金の鳥籠」 をご存知でしょうか。

 オスマン帝国の女の園、ハーレムにあった監禁場所、つまり牢です。




 ここに監禁されたのは、女性たちではなくスルタン(皇帝) の皇子たちです。




 もっともそれ以前に、ハーレム全体がたくさんの女性たちを監禁している場所だったとも考えられますね。




 その女の園の中に男性専用の人間が入る「鳥籠」 があったわけです。

 僕はスレイマン2世というスルタンは、「金の鳥籠」 の典型的な犠牲者だと考えています。





 なぜでしょうか。




 スレイマン2世は、オスマン帝国第20代のスルタンです。

 父は狂人皇帝とあだ名された、イブラヒム1世です。




 兄はメフメト4世、弟はアメフト2世で、すべてスルタンになりました。




 1687年、兄の後を継いで即位したスレイマン2世は、賄賂や娯楽を嫌う、信仰深く正直な人物だったといわれています。




 オスマン帝国内の賄賂や暴虐行為に反感をもち、宰相に命じて管理体制の修復に努力しました。



 ところが、彼は即位する前の皇子のときに、何と39年間も「金の鳥籠」 で過ごしていたのです。




 極めて孤独な場所です。




 皇子の近くにいるのは、卵巣か子宮を摘出された2~3人の側女と、鼓膜に穴をあけられ、舌を切り落とされた衛兵だけでした。




 これでは満足に話もできません。




 側女や衛兵までもが、強烈な人権侵害を受けていたのですね。

 即位する前の皇子には、公的な活動を一切行わせないというのが理由です。




 ここまでして、スルタンの権力を守ったのです。




 金の鳥籠に入れられた皇子たちは、いつ解放されるかわからない長い孤独な日々を過ごしたことでしょう。




 中には孤独に耐えられず、錯乱状態に陥った者も出ました。





 宮廷内では、いつ反逆者が殺しに来るかわからない状況の中で、不安と恐怖におびえながら、ひたすら不自由な監禁生活を余儀なくさせられたのでした。





 こんな生活を長く続けていれば、何らかの弊害が出てきても不思議ではありませんね。

 スレイマン2世の場合は、すっかり禁欲主義になってしまいました。





 晴れてスルタンとして即位し、せっかく目の前に美女をズラリ並べられても、まったく興味をもてなくなっていました。




 ハーレムには「夜伽(よとぎ)カレンダー」 なるものがあり、スルタンはそのスケジュールに従って、公平に平等にせっせと女性と関係をもつしくみになっていました。





 でも、こうなるとスルタンの意思は無視され、楽しみどころか労働になってしまいそうですね。

 そもそもイスラム教には、一夫多妻制が認められています。





 しかし、これは男性のためにあるのではなく、女性のためにあるのです。




 ムハンマドが布教を始めたころから、多くの迫害にあい、他の宗教との戦いがたくさんありました。




 これらの戦いで、夫を失う妻たちが続出したのです。

 この夫を失った妻たちを守るための制度が、一夫多妻制なのです。




 ただし、条件付きです。




 複数の妻をもっても良いが、もつなら妻たち全員を平等に扱いなさいということです。

 特定の女性とだけ仲よくすることは、許されなかったのです。




 もちろん、スレイマン2世も敬虔なイスラム教徒でした。

 元気な男性ならともかく、そうでなければ相当な心労になるでしょうね。




 スレイマン2世の治世は約4年です。

 39年も監禁されて、たったの4年間でした。




 特に後半の2年間は病床に伏し、1691年、49歳で病死してしまいました。




 権力を守るための 「金の鳥籠」




 とても考えさせられる制度ですね。




 人間なら人間らしく、もっと自由に生きたいと考えるのは僕だけではないと思います。
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