11 イブラヒム1世 (1615年 ~ 1648年)






~暗殺の不安からハーレムを荒らしたオスマンの狂人皇帝~






 「狂人イブラヒム」 「オスマンのネロ」 などと呼ばれ、異常な振る舞いが目に余ったオスマン帝国の第18代皇帝です。



 父はアフメト1世、兄にオスマン2世とムラト4世、子にメフメト4世、スレイマン2世、アフメト2世がいる皇族の中の皇族でした。




 イブラヒム1世が皇帝として即位した当初は、慈悲深く貧しい人々を助けることに努めたといわれています。



 それなのに、狂人とまで呼ばれ、30代の若さで亡くなった背景には、いったい何があるのでしょうか。




 1640年、兄ムラト4世の死後、25歳で即位したイブラヒムは、スルタン(皇帝) になっても全く嬉しく思っていませんでした。




 兄の突然の死の悲しみもありましたが、宮殿内に皇帝殺害の陰謀がはびこり、これが怖かったのです。



 いつも絹ひもでくびり殺されるという不安におびえ、やがて神経衰弱の余り精神を病み、帝冠をつけたのは息子が誕生した時ただ一度のみだったといわれています。





 このときの実質上の権力者は、イブラヒムの母親と宰相でした。

 女の園であるハーレムは、厳しく序列化されていたのです。




 スルタンの母親の権力が強く、スルタンの寝室へ誘われるのは、母親が選んだ娘たちでした。

 そしてその娘に妊娠の兆候がなければ、二度とスルタンに会うことはできなかったのです。




 権力支配と女性差別の中で、道具のように扱われ、まるで監獄のようですね。

 すぐにスルタンには新しい娘があてがわれ、同じことを次々にくり返していたのです。




 そして、スルタンが亡くなると、ハーレムの娘たちは「涙の宮殿」 に送られ、一生をそこで過ごしたのでした。




 これでは囚人奴隷ですね。




 このハーレムの厳しい人権侵害の制度の背景には、母親の権力維持があります。

 スルタンが同じ一人の娘に溺れることになれば、母親の権力は危うくなります。




 夜ごとに娘が変われば、それだけ一人の娘に思いをかけることがなくなるので、母親は安泰ということになるわけですね。




 イブラヒム1世はこんなハーレムで、その短い生涯のうち20年間も暮らしていたのです。




 しかし、スルタンの地位をめぐった争いも絶えず、イブラヒムも兄のムラト4世から命をねらわれたことがありました。




 この強烈な不安と心労の中で、イブラヒム1世は自らの不安をまぎらわせるために、ハーレムでセックスに溺れたのでした。




 それも娘たちがいやがるような淫らな体位を強要し、次々に280人もの娘たちに相手をさせました。




 多くの宝石をプールに放り込んでは、ハーレムの女たちが水中で拾い合う様子を眺めて悦に入ったり、1日に24人の女性と性行為に及んだり、宮殿の東屋から、外の道行く人々に矢を射かけて興じたりもしました。





 これでは国民にも大迷惑ですね。


 あぶなくて宮殿には近寄れません。





 人心が遠のいたことはいうまでもありません。





 1648年、イブラヒム1世は突如ハーレムにいた女性たち280人を袋詰めにして、ボスポラス海峡に投げ込むという大事件をおこしました。




 気まぐれで放縦、淫乱、浪費癖に無能なスルタンと噂されてはきましたが、ここにおよんでついに廃位を決定されたのです。





 即位後8年のことでした。





 最後は刑吏の一人に絹ひもで殺害されてしまいました。

 イブラヒム1世やハーレムの女性たちも、権力の犠牲者と考えられます。





 権力とはいったい誰のためにあるのかということを、改めて考えさせられるできごとですね。





 そして本当の自由とは、自分の自由とともに相手の自由も尊重できるものであるべきです。


 そうでなければ、とんでもないことになってしまいます。





 反面教師として学べることがたくさんあるできごとではないでしょうか。
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