7 シャルル9世 (1550年 ~ 1574年)





~宗教的権力闘争の犠牲になって狂死したフランス国王~





 「聖バーソロミューの虐殺」 をご存知でしょうか。

 1572年8月24日、深夜1時から始まった世界史上の大事件です。




 約4,000人が次々に殺され、パリのセーヌ川は血で赤く染まりました。

 身体をメッタ刺しにされた者、頭、腕、足、性器を切り取られ泥の中で引きずりまわされた者。




 妊娠中の腹をえぐられ、胎児を引きずり出されて壁に叩きつけられた者。




 目の前で両親を切り刻み、その血の海に裸にされて投げつけられた子どもなど、身の毛もよだつような恐ろしい殺人が行われました。




 このような残酷な事件がおこったのは、いったいなぜなのでしょうか。




 この大量殺人計画を事実上追認し、最終的なゴーサインを出したのは、当時のフランス国王シャルル9世です。




 仕掛けた張本人はその母親、カトリーヌ・ド・メディチです。


 殺された人々はユグノーとよばれる人々でした。




 ユグノーとはカルヴァン派のプロテスタントのことで、つまり、カトリック(旧教) がプロテスタント(新教) を一方的に虐殺したのです。




 同じフランス、同じキリスト教どうしですね。

 イエスが生きていたら、これをどう見たでしょうか、黙ってはいないでしょうね。




 ユグノー戦争とよばれる戦争のさなかではありましたが、背景には権力闘争と身分差別、宗教差別があることは明らかです。




 カトリーヌはイタリア出身で、アンリ2世の王妃でした。

 カトリーヌは絵画などの美術品の収集など、フランス文化の発展に大きな貢献をしています。




 イタリアからフランスに嫁いできたとき、多くの料理人や給仕人が随行し、豪華な料理や食事の作法がフランスにもたらされたのでした。




 それまでは王侯貴族といえども指を使って食事をしていましたが、フォークやスプーンを使うようになったのです。




 しかし、何ら貴族の称号を持っていなかったので、宮廷の貴族たちはカトリーヌを卑しい身分の娘としてさげすみました。




 「成り上がりの者」 「卑しい金貸しの娘」 という言葉を浴びせられたのです。


 明らかな身分差別ですね。




 夫には愛人がいて、自分はなかなか愛されませんでした。

 1559年、アンリ2世が馬上槍試合で事故死すると、権力が転がり込んできたのです。




 シャルル9世はカトリーヌの次男で、国王になったときはわずか9歳でした。

 彼は虚弱で気の弱い性格でした。




 いつもおどおどした臆病な人間で、メリメによれば、次のように報告されています。


 「その顔色は憂鬱で、その大きな碧い眼は決して話し相手を見ることがない」




 彼は、ユグノーの中心人物であるコリニー提督を父親のように慕っていました。




 1572年、カトリーヌは側近の一言に逆上します。

 「ユグノーは政権を奪う陰謀をたくらんでいます」




 シャルル9世の部屋へ行って、ただちにユグノー貴族らの首を切るよう進言したのです。




 「信じられません。しかしその陰謀が本当なら、コリニーらを捕えて堂々と裁判で裁けばいいではありませんか」



 「そんなことをしていては手遅れです」




 何時間も母親に責めたてられたシャルル9世は自暴自棄になり、ついにユグノー撲滅に同意したのです。




 こうして、あの悪夢のような聖バーソロミューの虐殺が始まったのでした。

 シャルル9世はノイローゼになり、夜ごと悪夢に悩まされました。




 最後の息を引きとるまで「血まみれの顔・・・血まみれの顔・・・」 とうわごとを言い、血の汗をかきながら死んだのです。





 このとき24歳の若さでした。


 良心がとがめて、犠牲になったのですね。





 差別が差別をよんでおこった悲劇です。





 カトリーヌとシャルルの母子が、権力欲と差別心からもう少し解放されていたならばどのような展開になったでしょうか。





少なくとも、罪もないたくさんの国民の命を守ることができたのではないでしょうか。
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