1 エリザベス王太后 (1466年 ~ 1503年)






~権力への暗躍から監禁されて死んだイギリス王妃~






 最初に、わかりやすく概略を書きます。




 ある王妃が、自分の幼い子どもを次の国王にするためにハンデを克服してライバルを蹴落とそうとします。



 失敗して、ライバルに対する別の対抗馬を準備しますが、何とこの対抗馬は、子どももライバルも両方とも殺し、自分自身が国王になってしまったのです。




 このいきさつを知る王妃は邪魔者にされ、口封じのために監禁。

 不幸にもそこで一生を終えたというできごとです。




 まさに権力、心労、差別が渦巻く世界ですね。


 「ある王妃」 とは、エリザベス王太后です。




 イギリスの歴史上、同じような名前が多数登場して混乱しやすいので、僕はあえて「エリザベス王太后」 で統一して使います。




 彼女は1464年、イギリス・ヨーク朝の初代の国王エドワード4世に迎えられた王妃でした。




 「ハンデ」 とは何かというと、夫のエドワード4世はすでにエリナーという女性と結婚していたことです。




 重婚ですね。

 この国王はよく女性に手を出したそうです。




 さらにエリザベス王太后の子どもは、次のように吹聴されたのでした。

「名も知れぬ別の男との間にできた非嫡出子で、王位継承権はない」




 議会は子どもではなく、エドワード4世の弟の王位継承権を議決しました。




 この弟は「ライバル」 になります。

 このライバルこそ、シェークスピアの戯曲で知られるリチャード3世です。




 エリザベス王太后は自分の子どもを国王にしたいので、自分の兄を使ってリチャード3世を亡きものにしようと暗躍しますが失敗します。




 それでもあきらめせん。

 今度は別の対抗馬を準備してリチャード3世を引きずり降ろそうとしました。




 「別の対抗馬」 とは、ヘンリー・テユーダーという男で、準備とは、エリザベス王太后が自分の娘をヘンリーと結婚させたことです。




 ところが、ヘンリーはエリザベス王太后の予期もしない行動に出ます。




 ティレルという男に命じて王太后の子どもを殺害し、その後、口封じのためにティレルも巧みに処刑したのです。




 子どもの白骨化した遺体は、200年たってロンドン塔で発見されたのでした。





 1485年、ボズワースの戦いがおこります。




 すでに国王になっていたリチャード3世にヘンリー・テユーダーが反乱をおこし、勝利したのでした。




 もっとも、どちらが勝っても国民には迷惑ですが。




 戦死したリチャード3世の王冠は草むらに転げ落ち、ヘンリー・テユーダーはそれをかぶって、血のボズワース・フィールドで王位を宣言しました。




 新国王ヘンリー7世と、新王朝テユーダー朝の誕生です。




 後に、シェークスピアは作品の中で、リチャード3世のことを、ロンドン塔で子どもを殺して「王位を簒奪した悪王」 と表現していますが、これは史実ではないでしょう。




 テユーダー朝を正当化するための作り話と考えるのが自然だと僕は考えています。




 さて、晴れて国王になったヘンリー7世にとっては、最後に始末しなければならない人物があと一人だけ残っています。





 もうおわかりですね。


 エリザベス王太后です。





 前王リチャード3世への造反を画策したのは彼女であり、一部始終を知っている可能性が濃厚です。




 しかし、彼女の子どもは実際には殺されていますが、当時としては行方不明になっており、何を言い出すかわかりません。





 だから、監禁されたのです。


 黙っていてくれさえすればいいわけです。





 エリザベス王太后は悔やんでも悔やみきれない思いで、監禁されたまま30代の若さで亡くなります。




 自由を失い、愛する子どもを失い、言葉では言い尽くせない心労だったことでしょう。





 彼女が権力とその背景にある差別心からもっと解放されていたのなら、どんなちがった人生を送ることができたでしょうか。
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