1 ルター (1483年~1546年)



~信仰の自由のために権力と闘ったドイツの大学教授~



 宗教改革の発端になった人物として有名ですね。



 ルターは1483年、ドイツ (当時は神聖ローマ帝国) の鉱山の町アイスレーベンで生まれました。


 大学で法律の勉強をしましたが、22歳のとき雷雨にあったことをきっかけに修道院に入り、2年後に司祭に任命されました。



 その後ビッテンベルク大学で神学と哲学の講義を受け持ち、さらには神学博士の位を授けられて大学教授になった人物です。



 実はルターは27歳のときにローマへ行ったことがあり、そのときすでに聖職者たちの堕落した姿に失望しています。



 「くさっている。儀式ばかりはなやかで礼拝は形だけ。

 聖職者たちはみんな金もうけのことばかり考えている。



 サン・ピエトロ寺院の建設も、教皇の力を示すためなのか。

 何てことだ。」



 そしてついに1517年、ビッテンベルクの教会の扉に 「95か条の論題」 を貼りつけました。



 論題の内容例をあげると、たとえば以下の内容になります。


 「キリスト教の信者は、真に自分自身に信仰があれば、免罪符など買わなくても罪は許されるはずだ。」



 「もしサン・ピエトロ寺院を建てたいのなら、貧しい信者からお金を集めなくても、教皇自身のお金で建てればよい。」



 あっという間に話題をよび、2週間後には神聖ローマ帝国じゅうに、1か月後にはヨーロッパじゅうに知れわたりました。



 宗教改革のはじまりです。



 ルターを殺そうとする人たちも出て、ローマ教皇も彼をローマに呼びだそうとしましたが、ルターを支持する貴族や皇帝が反対したのでできませんでした。



 そこで、神聖ローマ帝国内でルターに忠告を与えることになりました。

1518年9月、教会の取り調べのためにアウグスブルクに呼び出されました。



 教会は発言のすべてを取り消せ、教皇を敬えの一点ばりです。



これに対して、ルターは言葉で闘い続けました。



 彼の主張は次の3点です。




 (1)教皇や僧侶の権限が聖書や教会を支配しているのはいけないことだ。


 (2)カトリック教会の儀式は洗礼など一部を除いてやめるべきである。


 (3)キリスト教の信者は自由である。




 教会側の権力者たちは何度もルターに圧力をかけて、彼の主張を取り消そうとしましたが、決して屈しませんでした。

そしてローマ教皇は、ついに最後の切り札を出してきました。



 「破門」 です。



 これに対してルターの行動は 「神の名においてこの波紋状を破る」 でした。



 教皇の波紋状はルターによって燃やされました。

教皇の権力による支配をはねつけた瞬間であり、この行動には賛否両論があったことは言うまでもありません。



 ただ、当時の教会はイエスやペテロの時代に比べて、権力者が強い支配権をもち、宗教的身分による差別がかなりあったと考えられます。




 イエスもペテロも神の前の平等を大切にしていたはずです。


 それなのにカトリック教団の権威を利用して、農民に圧政をしく貴族も多くいました。




 中には領主の言いなりになることが神の意にかなうことだ、という者までいました。




 僕はルターの行動は、そうした差別からの解放の第一歩になったのではないかと思います。




 信仰の自由をこよなく愛し、多くの人々に問題提起をしたことは、数百年たった現在にも大きな影響を残しています。

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