5 ボニファティウス8世 (1235? ~ 1303年)





~出世後監禁されて憤死したローマ教皇~





 一度権威を得ると、それがなくなってもなかなか認めようとしない人は、現代の世の中にもたくさんいますね。




 変化に気づかず、権威が失われていく空気を読めない人たちです。


 世界史上では、この代表的な例が十字軍失敗後のローマ教皇でしょう。




 権力闘争を勝ち抜き、念願のカトリック教会の最高責任者である教皇に「出世」 しましたが、なおも旧態依然の権威を主張した人がいます。




 そして、最終的に痛い目にあい、辱められたのがボニファティウス8世です。

 彼はローマ南東にあるアナーニの名門、カエターニ家の出身です。




 1294年、教皇ケレスティヌス5世が即位しましたが、教皇はまもなく「いじめ」 に遭います。


 カエターニ枢機卿が部下に命じて、教皇の部屋まで伝声管を引かせ、夜な夜な自らささやいたのでした。




 「直ちに教皇を辞し、隠者の生活に戻れ」




 毎晩のように悩まされ、不眠と神経衰弱になってしまったケレスティヌス5世は教皇を辞し、代わってカエターニ枢機卿が新しい教皇に就任したのでした。




 これがボニファティウス8世誕生の瞬間です。




 「イエスはわれらと同じただの人よ。

  わが身さえよう救わなんだ男が、他人のために何をしてくれようぞ」




 これをイエスが聞いたら黙っていないでしょうね。




 ボニファティウス8世は敬虔な信者から悩みを打ち明けられても、平気でこのようなことを言いました。



 美食や華美を好み、宝石をちりばめた衣服、金銀の宝飾品、賭博も大好きで、教皇庁はカジノと化しました。



 あげくの果てに精力絶倫で、夜な夜な怪しげな男女が出入りするという始末。




 彼はいったい何のために教皇になったのか、疑問に思えてしまいますね。

 これではますます教皇の権威が失われていくのも、納得できるような言動です。




 あくまでも自分が時代の主役だ、と考えていたのですね。

 僕がこのときの信者の一人だったら、迷わずボニファティウス8世を見放していたと思います。




 1304年、彼は教皇回勅を発して主張しました。

 「教皇の権威は、地上のあらゆる権力に優越する」

 


 信者の心と、時代の空気が読めていませんね。

 次いで回勅を発し、フランス王フィリップ4世に教皇の命に従うように促したのでした。




 フィリップ4世はパリのノートルダムに聖職者、貴族、平民の代表からなる三部会を召集しました。



 三部会は王を支持し、教皇の要求を突っぱねました。




 ボニファティウス8世は怒ってフィリップ4世を破門にしましたが、フィリップも「悪徳教皇弾劾の公会議」 を開くよう要請して、破門に屈しませんでした。




 このことは、すでに教皇の信頼が地に落ちていることを証明している出来事ですね。



 1303年、ついに「アナーニ事件」 がおこります。



 フィリップ4世は腹心のノガレとコロンナを、教皇が滞在していたアナーニの別荘に派遣しました。




 ノガレとコロンナは深夜に教皇御座所に忍び込み、ボニファティウス8世の退位を迫り、弾劾の公会議に出席するよう求めました。



 教皇が「余の首を持って行け」 と平然と言い放って拒否すると、2人は彼の顔を殴り、教皇の三重冠と祭服を奪ったのです。



 そして、救出されるまで3日間監禁しました。


 耐えがたい屈辱だったことでしょう。




 そのまま2週間後に、息絶えることになりました。



 高齢と長年の不摂生で腎臓を患っていたこともありますが、人々は彼の死を「憤死」 と呼びました。




 それは、死ぬ間際まで呪詛の言葉を吐いていたからです。


 出世と権力に取りつかれすぎた男の末路が、ここにも見えますね。





 差別意識から解放され、もっと信者を大切に、信者とともに生きれば、アナーニ事件は防げたのではないでしょうか。
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