5 ユスティヌス2世 (520年 ~ 578年)





~責任と心労に揺れ続け発狂した東ローマ帝国の皇帝~





 東ローマ帝国は、教科書でもおなじみの歴史に残る大帝国です。



 395年、古代ローマ帝国の東西分裂から始まりましたが、広大な領域を支配して、その後1,000年以上も続きました。



 首都はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール) です。




 この中で最強と言われた人物がユスティニアヌス大帝で、その妹の子どもがユスティヌス2世です。




 皇帝という権力を手に入れながら、彼は発狂して人生を終えてしまいます。




 いったいなぜなのでしょうか。




 伯父のユスティニアヌス大帝は早くからその才能を示し、「ローマ法大全」 の編纂や聖ソフィア大聖堂の再建など、後世に残る文化事業を成し遂げました。




 また、遠征では次々に勝利しています。




 アフリカのヴァンダル王国、イタリア半島の東ゴート王国、イベリア半島の西ゴート王国の一部などを攻撃・占領し、かつての古代ローマ帝国に匹敵するほどの領土を回復したのです。





 その治世は38年にもおよび、後に大帝と呼ばれるようになったわけですね。


 565年、ユスティニアヌス大帝は後継ぎの子どもがないまま病死しました。





 そこで、妹ウィギランティアの息子ユスティヌスが、コンスタンティノープルの元老院と共謀して新しい皇帝即位を宣言しました。




 ユスティヌス2世の誕生です。




 しかし、苦難はすでに始まっていたのです。





 伯父の時代の相次ぐ遠征や建設事業で財政は破綻し、それを補うための増税で、経済も疲弊していました。




 山のような借金の証文を前に、彼は茫然としたのではないでしょうか。




 拡大しすぎた広大な領土の維持も、ユスティヌス2世にとっては大きな重荷になっていたと考えられます。




 西からも東からも、周辺諸国が侵攻を開始しました。




 西ゴート族はイベリア半島に、ランゴバルト族はイタリア半島に、東方ではササン朝ペルシアとの戦いになりました。




 結局スペインやイタリアを失い、ササン朝ペルシアのホスロー1世と強引に開戦しましたが、敗れて東ローマ帝国の威信を大きく傷つけることになってしまいました。





 ユスティヌス2世は、この敗戦がよほどのショックだったのでしょう。


 心労に心労を重ねた末に、ついに精神に異常をきたしました。




 574年のことです。




 政治の実権は養子のティベリウス2世に譲って、事実上引退しました。


 その後578年に亡くなるまでユスティヌス2世の精神錯乱は続いています。




 ちなみに、後を継いで即位したティベリウス2世は、わずか4年で死去し、そのまた後継ぎは帝位を簒奪されて殺されています。




 悲惨な災難続きですね。


 ユスティヌス2世は、発狂して身を滅ぼすために皇帝になったのでしょうか。





 ここにも権力に目がくらんで、無理をした男の末路が見えるような気がします。





 伯父も大帝とは呼ばれていますが、後継者たちに大きなツケを残していったことも見逃せません。




 この時代の東ローマ帝国の皇帝たちは、はたして自由で納得のいく人生を送ることができていたのでしょうか。





 それにしても、僕には一つの疑問があります。





 国民たちの声が、ほとんど聞こえてこないということです。

 唯一の手がかりは、増税による経済の疲弊です。





 相次ぐ戦争で人権侵害を繰り返していたことからも、とても暮らしやすい社会だったとは思えません。




 戦争で一番痛い目にあうのは支配者たちではなく、国民です。





 この目線から見ると、どう考えても自分は東ローマ帝国の、国民にも皇帝にもなりたくない、と思うのは僕だけでしょうか。





 権力は、一般民衆のために使われるべきでしょう。





 ユスティヌス2世が発狂しないで生きる道は、ほかにもいくつかあったのではないでしょうか。
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