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2016.06.23
第1章 紀元前の世界 13 クレオパトラ
13 クレオパトラ (前69年 ~ 前30年)
~王権と恋愛の狭間で揺れた古代エジプトの女王~
世界の「三大美女」 と噂される人物をご存知でしょうか。
エジプトのクレオパトラ、中国、唐の楊貴妃、日本、平安時代の小野小町の3人の女性です。
哲学者、パスカルの言葉です。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史は変わったであろう」
写真が残っているわけでなく、美人と呼ばれる姿も、地域や時代によって異なるため、正確なところはわかりません。
でも、クレオパトラがとても魅力的な女性であったことは、ほぼ間違いないようです。
その魅力的な女性が、わずか39歳の若さで自殺に追い込まれています。
なぜでしょうか。
紀元前69年、クレオパトラはエジプトのファラオ、プトレマイオス12世の三女として、アレクサンドリアで生まれました。
幼い時から聡明で、父親は彼女が7歳のときに家庭教師をつけました。
教養豊かで、特に語学の才能は驚くべきものでした。
ギリシャ語のほかに、ラテン語、ヘブライ語、エジプト語も話せるようになりました。
乗馬の腕も確かで、見る見るうちに才色兼備、文武両道の、たぐいまれな美しい王女に成長していったのです。
紀元前51年、クレオパトラ18歳のとき、父親の遺言により、10歳の弟プトレマイオス13世と結婚し、女王として弟と共同統治をすることになりました。
ところが、この弟と妹アルシノエが組み、女王クレオパトラと敵対しました。
アレクサンドリア戦争です。
この戦争でクレオパトラが勝利することができたのは、ローマの英雄、カエサルが味方したからです。
カエサルは、美しく魅力的なクレオパトラの虜になっていたのです。
初対面のときに、彼女がじゅうたんにくるまって、突然彼の前に現れた話は有名ですね。
深い恋愛関係になり、子どもまで生まれました。
しかし、紀元前44年、クレオパトラが25歳のとき、カエサルはローマで突然暗殺されてしまいました。
ともに世界帝国をつくる、という夢が消えた瞬間です。
それでも今度は、同じローマの英雄、アントニウスがクレオパトラの虜になります。
彼とは正式に結婚し、子どもも3人生まれました。
次々に、とてもよくもてたのですね。
語学が堪能なうえ、機知に富んだ会話や美しい演出、女性らしい茶目っけに、英雄たちも参ってしまったのです。
相手に対する気遣いが、人一倍よくできる人だったとも言われています。
紀元前32年、ライバル登場です。
エジプトをローマの支配下におさめようとしていた、オクタビアヌスです。
アクティウムの海戦とよばれる戦争になりました。
この戦争でアントニウスとクレオパトラの連合軍は、オクタビアヌスに敗れ追いつめられることになります。
戦争後も何回も和平交渉を繰り返しましたが、結局クレオパトラはアントニウスとの愛を優先し、オクタビアヌスの要求を拒絶しました。
最後は、毒蛇に身をかませて、自殺という悲劇で幕を閉じたのです。
もしかしたら、オクタビアヌスもクレオパトラとの愛欲をねらっていたかもしれません。
これらのできごとは、さまざまな歴史書等で書かれていますが、僕が気になっていることは、エジプト国民の声がなかなか聞こえてこないということです。
そもそもプトレマイオス朝の王家はギリシャ人の家系であって、代々エジプト人とはほとんど結婚していません。
まず、ここからして差別的ですね。
彼女の父、プトレマイオス12世は大増税を行い、権力争いに明け暮れました。
その娘のクレオパトラも、戦争続きで権力争いの一生でした。
純粋な恋愛かどうかは当人たちにしかわかりませんが、国民の本音はどうだったのでしょうか。
プトレマイオス朝と、ローマ帝国の支配。
一般民衆の立場に立てば、果たしてどちらが暮らしやすかったのか、疑問に感じるのは僕だけでしょうか。
~王権と恋愛の狭間で揺れた古代エジプトの女王~
世界の「三大美女」 と噂される人物をご存知でしょうか。
エジプトのクレオパトラ、中国、唐の楊貴妃、日本、平安時代の小野小町の3人の女性です。
哲学者、パスカルの言葉です。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史は変わったであろう」
写真が残っているわけでなく、美人と呼ばれる姿も、地域や時代によって異なるため、正確なところはわかりません。
でも、クレオパトラがとても魅力的な女性であったことは、ほぼ間違いないようです。
その魅力的な女性が、わずか39歳の若さで自殺に追い込まれています。
なぜでしょうか。
紀元前69年、クレオパトラはエジプトのファラオ、プトレマイオス12世の三女として、アレクサンドリアで生まれました。
幼い時から聡明で、父親は彼女が7歳のときに家庭教師をつけました。
教養豊かで、特に語学の才能は驚くべきものでした。
ギリシャ語のほかに、ラテン語、ヘブライ語、エジプト語も話せるようになりました。
乗馬の腕も確かで、見る見るうちに才色兼備、文武両道の、たぐいまれな美しい王女に成長していったのです。
紀元前51年、クレオパトラ18歳のとき、父親の遺言により、10歳の弟プトレマイオス13世と結婚し、女王として弟と共同統治をすることになりました。
ところが、この弟と妹アルシノエが組み、女王クレオパトラと敵対しました。
アレクサンドリア戦争です。
この戦争でクレオパトラが勝利することができたのは、ローマの英雄、カエサルが味方したからです。
カエサルは、美しく魅力的なクレオパトラの虜になっていたのです。
初対面のときに、彼女がじゅうたんにくるまって、突然彼の前に現れた話は有名ですね。
深い恋愛関係になり、子どもまで生まれました。
しかし、紀元前44年、クレオパトラが25歳のとき、カエサルはローマで突然暗殺されてしまいました。
ともに世界帝国をつくる、という夢が消えた瞬間です。
それでも今度は、同じローマの英雄、アントニウスがクレオパトラの虜になります。
彼とは正式に結婚し、子どもも3人生まれました。
次々に、とてもよくもてたのですね。
語学が堪能なうえ、機知に富んだ会話や美しい演出、女性らしい茶目っけに、英雄たちも参ってしまったのです。
相手に対する気遣いが、人一倍よくできる人だったとも言われています。
紀元前32年、ライバル登場です。
エジプトをローマの支配下におさめようとしていた、オクタビアヌスです。
アクティウムの海戦とよばれる戦争になりました。
この戦争でアントニウスとクレオパトラの連合軍は、オクタビアヌスに敗れ追いつめられることになります。
戦争後も何回も和平交渉を繰り返しましたが、結局クレオパトラはアントニウスとの愛を優先し、オクタビアヌスの要求を拒絶しました。
最後は、毒蛇に身をかませて、自殺という悲劇で幕を閉じたのです。
もしかしたら、オクタビアヌスもクレオパトラとの愛欲をねらっていたかもしれません。
これらのできごとは、さまざまな歴史書等で書かれていますが、僕が気になっていることは、エジプト国民の声がなかなか聞こえてこないということです。
そもそもプトレマイオス朝の王家はギリシャ人の家系であって、代々エジプト人とはほとんど結婚していません。
まず、ここからして差別的ですね。
彼女の父、プトレマイオス12世は大増税を行い、権力争いに明け暮れました。
その娘のクレオパトラも、戦争続きで権力争いの一生でした。
純粋な恋愛かどうかは当人たちにしかわかりませんが、国民の本音はどうだったのでしょうか。
プトレマイオス朝と、ローマ帝国の支配。
一般民衆の立場に立てば、果たしてどちらが暮らしやすかったのか、疑問に感じるのは僕だけでしょうか。
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