7 劉 邦 (りゅうほう) (前247年 ~ 前195年)





~皇帝の権力から猜疑心に揺れた漢の建国者~





 偉くなると途端に人が変わってしまう人物に、心当たりはありませんか。

僕にも心当たりの人物がいます。




権力の座は、魔力を秘めているのでしょうか。




人の迷惑を考えず、やりたい放題になったり、守りに入って理不尽な行動を取る人がよくいますね。



紀元前の中国に生きた漢の高祖、劉邦もそんな人物の一人だったのではないでしょうか。




皇帝になってからの彼は、それまで人々に慕われていたかつての劉邦とは別人になってしまったのです。



 紀元前247年、劉邦は現在の江蘇省徐州市沛県(はいけん) で宿屋の三男として生まれました。




若いころは田舎の遊び人といったところですが、なぜか人望のある性格でした。




仕事で失敗しても周囲が擁護し、劉邦が飲み屋に入れば自然と人が集まり、店は満席になりました。




秦の苛酷な労働で、人夫たちが次々と逃亡したとき、酒を飲んで酔っぱらって、残ったすべての人夫を逃がし、自らも一緒に行くあてのない人夫らとともに、沼沢へ隠れたこともありました。




 そんな劉邦が、天下を統一して漢の皇帝になったこと自体が不思議ですね。





秦の反乱軍の大将になったのも、自分から野心をもってなったのではなく、彼の人徳を慕う多くの人々の熱望によって推された結果でした。




何度も痛い目にあいながら、強力なライバル項羽に負けなかったのも、劉邦の大らかな人柄がそうさせたのです。





 そして張良(ちょうりょう) や韓信(かんしん) をはじめとする多くの優れた部下たちの才能をうまく発揮させることができたからではないでしょうか。




 劉邦は 「平民皇帝」 として、中国史上に長く大きな名を残す大人物になりました。





特に生まれは低い身分でありながら、権力の頂点にまで登りつめた物語は、たくさんの書物で紹介されています。



ライバル項羽との戦いで、何度も命びろいをしながら、逆転勝利したことはとても魅力的です。





でも僕があえて注目したいことは、わずか7年ではありますが、皇帝になってからの彼自身の行動であり、生き方であるのです。




 紀元前202年、天下統一を果たし、漢の初代皇帝に就任した劉邦は、手のひらを返したように、自分の一族ではない部下たちを、片っぱしから処分しはじめました。




最も猜疑心を向けられたのは、天下統一に大きな力を発揮した韓信(かんしん)、彭越(ほうえつ)、英布(えいふ)の3名です。




彼らは領地も広く、百戦錬磨の優れた武将だったので、特に警戒されました。





 謀反(むほん) の疑いをかけられたときの韓信の言葉です。





 「狡兎(こうと) 死して良狗(りょうく) 煮らる」

 (すばしこい兎(うさぎ) が死んでしまうと、良い猟犬は煮られる)




 「天下が安定したから、自分も煮られるのだろう!」

 こう叫びましたが、紀元前196年、だまし討ちにあって殺されました。




  同年、彭越も捕えられて、蜀(しょく) に流されるところを策謀によって殺されました。

  英布は反乱をおこしましたが、劉邦の軍に敗れました。




しかし、この戦いで劉邦は矢傷がもとで、それまでの病状が悪化し、翌年の紀元前195年、あっけなく死去したのです。




皇帝になってから、わずか7年後のことでした。


とても優雅な権力者の生活とは思えませんね。




 劉邦は猜疑心にさいなまれ、なりふりかまわず 「守り」 に入ったのです。


結局、自分で自分の首を絞める形になってしまったのではないでしょうか。





彼の心労は、相当なものだったと考えられます。


権力にしがみつく小心者の姿は、かつての大らかな劉邦とは似ても似つきませんね。





 これらの痛ましい事件の背景には、人を見下す差別心が見え隠れしていると考えるのは僕だけでしょうか。
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