4 アショーカ王 (前304年 ~ 前232年)





~侵略に苦悩し仏教に救いを求めた古代インドの大王~





 「アショーカ王よ、私たちの呪いで、いつかおまえの王国を滅ぼしてやる!」

 名も知れぬ、か弱い女性から突き付けられた、きつい一言です。




 もしかしたら、この一言が彼の生き方が変わった瞬間なのかも知れません。




 それは、アショーカ王が次のように考えるようになったからです。

 「力で作り上げた王国は、いつか力によって滅ぼされる」




 その後の世界各国で展開されている世界史は、このことを見事に証明していますね。

 紀元前317年頃、インドでチャンドラグプタ王がマウリヤ朝を興しました。




 アショーカ王は、このマウリヤ朝第3代の王で、歴史上初めてインドを統一し、仏教を厚く保護した大王として、歴史の教科書でもおなじみの人物ですね。




 しかし、アショーカはもともと王位を継ぐべき、安定した立場ではありませんでした。




 彼は父のビンドゥサーラ王の多数の王子の一人にすぎず、長子ではなく、また正妃の子でもなかったのです。




 普通に考えればアショーカは、王にはなれない立場だったのです。

 父王は長子スシーマを可愛がり、アショーカを冷遇しました。




 西インドの太守として都から遠ざけられ、反乱鎮圧という難題も課せられました。




 ところが、父王が亡くなるとただちに都に戻り、長兄をはじめとする異母兄弟の多くを殺して王位に登ったのでした。




 即位後も、自分の命令に従わない大臣たちを次々に殺し、その数は500人にもなったと伝えられています。





 これはすごいですね。





 このことだけでも、かなり無理して権力を手中にしていることがわかりますね。




 極めつけは「カリンガ戦争」 です。

 紀元前260年頃、インド東岸にあった大国、カリンガ国を激戦の末、征服しました。




 この戦争によってインドはほぼ統一されましたが、10万人が殺されたのです。

 戦禍によって兵士でない人々も、その数倍の人間が死に、住居を失った人も多数出ました。





 冒頭の女性のきつい一言はこのときのもので、兵士でない夫を失った妻の怨みが強烈に響いたものと考えられます。





 アショーカ王は怖くなったのかもしれません。




 この後、侵略戦争をピタリとやめ、仏教を深く信仰するようになりました。





 自分の命令一つで、何十万人もの人が死に、その累々と横たわる屍の地獄絵を目の当たりにすれば、いつか自分の行く末もこうなるのかと考えても不思議はありませんね。





 もしかしたら、夢にまで死人が出てきて、うなされるようなことがあったとも考えられます。




 僕がこう考えるのは、アショーカ王のその後の行動からです。

 彼はこの地方の住民に対し、特別の温情をもって統治に当たるよう勅令を発しているからです。




 「法(ダルマ)の政治」 を宣言し、インド各地の仏教の聖地に巡礼しました。


 仏教は基本的に殺生を禁止していますね。




 シャカが悟りを開いたというブッダガヤの菩提樹を詣で、8万を超える仏塔を建てました。




 インドの大王という権力と引き換えに、大きな心労にさいなまれ、罪滅ぼしに奔走しているように見えるのは僕だけでしょうか。




 アショーカ王は当然のことながら、仏教界から高く評価されることになります。

 また、バラモン教やジャイナ教など、他の宗教も保護して対等に扱いました。




 しかし彼は晩年、王の地位を追われ、幽閉されたという説が残っています。




 彼の死後、王位争奪戦によってマウリヤ朝は分裂し、紀元前2世紀初頭には、シュンガ朝により滅亡しています。


 


 読者の皆さんはどのように考えられますか。





 本当に納得した人生であったかどうかは、本人にしかわかりませんが。
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